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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

久々に「風立ちぬ」を見て泣いちゃった理由を考える

エッセイ・随筆 映画

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風立ちぬを見て泣いてしまった

 

久々に「風立ちぬ」を見たんだけれど、なぜか急に涙が止まらなくなった。

 

この映画を見るのはすでに3〜5回目とかになるのだけれど、前も感動はしても涙を流すことはなかった。単純に「いい映画だなぁ」とか「菜穂子さんみたいな人おらんわ」では無くて、現在の自分と照らし合わせる中で、どこか彼らに心打たれるものを感じたからだと思う。

 

結局、どちらも人間的に不完全

 

 この「風立ちぬ」に寄せられる感想としては、「二郎が勝手過ぎる」や「菜穂子かわいそう」などがあると思う。殊に、男女の間ではそういった意見に割れやすく、僕自身としてもそういう意見はよく聞いた。

 

でも今回見ていて思ったのは、結局のところ「どちらも人間的に不完全なんだな」という部分だった。

 

soramitama.com

 

こちらの記事を読んで、僕も「なるほど」と思った。なんだかんだいうけれど、2人とも不完全なんだなという点で、僕も合点がいった。

 

この映画のテーマには「生きねば」というものもありますが、もう1つに「正直さ」や「正しさ」みたいなものがあると思っている。

 

二郎は冒頭から飛行機の夢を追い、また苛められっ子から小さい子を救うシーンまであります。これは二郎が清く正しい人であるというイメージだけでなく、それだけ「己の正しさ」を追いかけている人間であることを裏付けているとおもう。事実、喧嘩して帰った二郎に母親は「ケンカはいけませんよ」と釘を刺している。これは暗に「融通の利かない子ども」というのをわかっているし、自分の「正義」に正直過ぎることを示唆しているんだと思った。

 

一見すると二郎は正しい。でも、それはあくまで自分に対してであり、他者や社会に対しての「正しさ」ではない。事実、彼は飛行機が戦争の産物になるのをわかっていながら、それでも飛行機を作り続けた。劇中でも「機関銃が無ければいい飛行機になる」とわかっていながら、彼は飛行機を作り続けた。世の中を変えるつもりはなかった、という結論にも至ることができると、僕自身は思った。彼はいい意味でも悪い意味でも、少年のまま成長していなかった。だからずっと飛行機を作り続けてこられた。そういう解釈もあるなと感じることができた。

 

これに対して菜穂子も、やはり「正直」な女性だったんだなと思う。
自分を地震のとき助けてくれた男性を一途に思い、その男性の夢を側でずっと見続けることを病気になっても思う。一途だ、でも悪い見方をすれば「世間知らず」な女性である。

 

菜穂子自身の家が裕福で、箱入り娘のような部分は多々見受けられる。それ故に「世間知らず」であったとしても仕方ないとは思う。それでも、二郎に対する思いに応えようとする彼女は、どこか「少女」のように見えて仕方がなかった。少女故に二郎に対して献身的で、自分を犠牲にしてでも「正直」できれいな自分を二郎に見せたかった。

 

一見すると、どちらもいい人で「正直」な人たちである。でも、やはりどこか不完全で、そんな人間臭い部分は、この「風立ちぬ」の魅力であると思う。

 

彼らが「正直」に成らざる得なかった時代

 

 二郎たちが生きた時代は、日本や世界中で戦争が起こる時代で、さらには世界恐慌(現代でもリーマンショックという形で起こっている)で職にあぶれる人が沢山おり、銀行も潰れてしまう時代であった。
このような時代になると、往々にして起こるのは犯罪で、誰もが生きるために不正などを働こうとする。でも、二郎と菜穂子は違った。彼らは反対に「正直」であり続けようとした。でもこれは、世界が混迷を極めていたからこそ、2人が防御反応的に「正直」に成らざるを得なかったとも僕は思った。

 

普通に考えれば、大人は危険な時代の中では、何とか生き抜こうと必死になり、何でもしてただ命を残すことを考えるだろう。でも、二郎と菜穂子は不完全であることや、自分たちが大人であるという認識には鈍感であったと思う。それよりも、自分たちが「どのように生きれば正直であり続けられるのか」という、ある種小説のテーマ(堀辰雄の「風立ちぬ」を考えれば十分考えられる)を背負っているのが、二郎と菜穂子なのではないかと思った。

 

劇中で二郎は、病床の菜穂子を「きれいだ」と言い続け、菜穂子も二郎がつくる飛行機を「きれいだ」と思い続けた。それが本当は負の側面を持っているが、彼ら2人の「正直さ」や「正しさ」を証明するには、あまりにも理不尽過ぎる現実だったんだと思う。それ故に過酷すぎる時代を見ることを避け、劇中で「僕たちには時間がない」と言っていたのであれば、彼ら2人が夢を語り、自分たちの夢を現実にするには、あまりにも切なすぎるのではないだろうか。

 

「不完全でいい」というメッセージ

 

僕は「風立ちぬ」を改めて見て、この作品の「生きねば」には「不完全でもいい」というメッセージもあるのではないかと思った。

 

二郎と菜穂子はあまりにも不完全な人だった。でも、それ故に誰よりも懸命に生きた。自分に正直に人生を送ることができた。そこには現代のような正解や不正解ではなく、ただ自分たちが「正直」であるために生き抜いた人生録だけがあった。生きるためだけに正解を求める、ある種の「正直さ」を捨てて生きる現代人へのアンチテーゼのように見えた。

 

人は純粋ではいられない。情報で溢れる現代では特に、さまざまなことを知ってしまう。そのメリットは当然あるが、僕は失ってしまっていることもたくさんあるのではないかと思っている。

 

別に二郎や菜穂子のように生きるのが正しいとは思わない。だけど、彼らのような人生を否定することも、同じく僕たちには全くない。彼らは誰よりも正直に生き、誰よりも悔いなく生き抜いた。

 

「風が立ちぬ、いざ生きめやも」

 

これは「生きることを試みなければいけない」という意図があるらしいが、「風立ちぬ」の映画ではまさに、自分たちに正直になって「生きることを試した」男女の物語だったのではないか。その一端に触れたからこそ、僕は急に涙してしまったのかもと、この文章を書いていて思った。

 

 

 

「こんな店は最悪だ」という客に「あんたみたいな客は来なくていい」という勇気がほしい

フリーランスの魅力とは

 

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ども、リュウ・ライタです。

 

www.lancers.jp

 

某有名サイトにて私も仕事をいただいたり、コラム記事などの執筆をいただいているのですが、やっとこさ完全独立して半年が経とうとしています。昨年は、一応塾講師の仕事をまだしていたので完全にフリーランスとは言えませんが、半独立して活動はしていたので、そこで感じたことを書かせていただいております。

 

独立に当たって色々と困ることもありますが、最大の魅力は何といっても仕事が選べるところにあるかと思います。そして、自分が食べていくための仕事と理想の仕事を同時並行しやすい点もあるかなと思ったりします。

 

www.ex-it-blog.com

 

こちらの記事にもあるように、僕のような店舗もないフリーランスは集客に関してはあまり考えなくていいかなと思ったりしています。とにかく食べるための仕事と、自分の理想の仕事の時間のバランス。これが大事になってくるかと思いますが、その部分が最も難しい気がするわけです。

 

最近の仕事の事情

 

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たとえば、食べるための仕事をしようとしているにもかかわらず、結局は安い仕事を大量にこなすことにパターン。以前記事にもしたように、安いまとめ記事だけライターとして仕事を引き受けても、生活するのは現実的ではありません。だからといって、安い仕事ばかり引き受けていると、あとになって金額を上げることも難しくなります。

 

私も知り合いの人からは、金額設定はかなりシビアにしておかないと後々困るという話はよく聞きます。その金額で人が自然と寄ってくることもありますし、反対に人が離れていくからです。それに、安く設定してしまうと、結局はその程度の人しか人が寄ってこないことにもなります。

 

反対に、理想の仕事のチャンスとしてタダ働きさせられることもあります。 食べるための仕事はもちろん、理想の仕事とはいえお金につながる仕事をすべきだと思います。僕のようなフリーランスは、結局のところ工事の下請けのような仕事です。だからといって薄給の仕事をこなすのが普通という考えはよくないかと思います。

 

会社内で分業ができていないから「フリーランス」がいる

 

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フリーランスが企業に入ることは、あまり好意的に取られないことが多いような気がします。日本特有のわからないものを避ける習性もさることながら、意思疎通がうまく行かないイメージがあるからでしょう。たしかに、上から下へスムーズに仕事は流れないかもしれません。でも、現代では社内の人間でも上から下へ仕事は回っていないのではないかなと、ぼく個人は思っています。

 

youtu.be

 

こちらは、とある学校の卒業制作にて作られた動画のようです。いちど見てもらってほしいのですが、この内容はかなりリアルです。何がリアルかというと、就活における滑稽さ、みたいなものでしょうか。それは学生もだし、必死に囲い込もうとする企業も同じです。

 

そもそも、会社という場所は営業する人と事務する人がいるように、各仕事には役割があります。会社全体がチームになって、利益という目標を達成するわけです。これはフリーランスでも同じで、もっといえば、フリーランスは自分の役割をとがった形で自負し、各企業の足りない役割を補う存在だと思います。フリーランスだけでも立ち行かないし、企業に勤める人だけでも立ち回らない。仕事をするときは、必ずチームなり何なり「人」に関わる訳です。日本が資本主義の社会だと言い張りたいのであれば、その点に関しては認めて動かないといけないと私は思ったりします。

 

ですが、日本では「就活」という囲い込みをして、会社で働いてくれる人を雇います。動画にあるように、一気に同じような人を求めます。私からすれば、同じような人間ばかりが働く会社なんて、ゾンビと同じです。どうしてゾンビ映画や漫画が一時期流行ったのか、社会を見ていると何となく同じような現象が起きていたんだなと感じたりします。

 

「何でも安請負する≠フリーランス」と思っている人はお帰りください

 

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私は「企業にできないことは他の人がする」という発想は、これから大事になってくるんじゃないかと思っています。各企業では副業を認めるようになり始め、これは都心では割りと常態化しているみたいです。私は地方出身なのでその話を聞いたときは実感がなかったのですが、東京での物価や賃貸事情を考えると、かなり深刻なようです。
だからこそ、副業やフリーランスに依頼する仕事が安くなってはいけないと思うわけです。

 

それに、外注する仕事が安くなってしまっては、そこに対するモチベーションは上がらずに仕事の質も低下します。

 もちろん、こちらとしても単に「給料を上げろ」というつもりはありませんが、企業やクライアント、お客さんからとにかく「安くして」という声に頭を垂れるのもナンセンスだと思います。それでは結局のところ、依頼された側はその金額分しか人は働きません。「追加報酬で」というパターンもありますが、追加報酬で人が元気になるのは2~3回までぐらいです。結局はベースとなる報酬がしっかり手元にやってこないと、人は「仕事」として認識できないようし、安い報酬には「安い仕事」という認識が生まれるだけです。

 

クライアントにも予算があることはわかっています。ならば、その予算で動いてくれる人を探すしかないんだと思います。そうやって誰かをアテにしながら生活するのが、現代の仕事観のひとつなんだと、僕は思ったりします。でも、「お金を払えば何でもやってくれる」わけではないし、「なんでも手に入る」という価値観は、そろそろ本気で払拭しなければいけないと、私個人としては思ったりしています。

 

現代に噴出する問題の数々は「お金を払えばなんで解決する」という発想の元に生まれている

 

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「社会は誰かを当てにして回っている」という価値観は、私は大事だと思っています。会社だろうとフリーランスだろうと人がいないと仕事にはならないし、人がいるから自分も仕事ができるわけです。だけど、これが信頼に基づいたものではなくて「お金をペイすればなんでもしてくれる」に寄りかかっているから、結局のところは何の問題の解決にもならないんだと思います。

 

昔ならば、お金をペイすればそれなりに対価がもらえたので、まだ我慢して仕事できたのかもしれません。でも、今の日本は貧乏で、誰かをアテにしたとしても、その先が疲弊し切っていて頼れない現状があります。保育士さんや教師さんがいい例だと思います。もちろん、お金の問題だけでなく、教育現場の質や家庭環境の大きな変化など色々な要因がありますが、お金の側面からみれば、アテにしたくてもし切れない問題と、まだまだお金をペイすればなんでもしてくれるという思想に酔っている感がぬぐえません。

 

私としては、もう数をこなそうとするクライアントや、安くしか見積もれない会社に対しては断る勇気が必要だと思っています。 「お客様は神様」なんていう時代は思わっているし、そもそもこの言葉は「クライアントさんや商品提供者と親しく付き合っていきたい」というお客さんを指す言葉だそうです。あまりにクレーマーに対して気を使わなければいけない世の中に、ほとほと嫌気がさす。そんなお客は断ればいい。そんなお客は、ほかのサービスを探せない人だと割り切り、自分が別のお客様を探せばいい。少なくとも、私はそう思う。

 

 

 

隣人を愛せよ・2

脚本・物語

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前回の話&登場人物

 

↓↓↓

ryuuraita.hatenablog.com

 

 

シチュエーション…飲食店

 

 

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塚本ヒロコ、宮本ジュン、末田エリが一緒に夕食を取っている。

 

エリ 「というわけで、男のあてはできました」

 

ジュン 「さすがセンパイ。頼りになります」

 

エリ 「ほんと、調子いい後輩」

 

ヒロコ 「ねぇ、なんで私呼ばれたわけ?」

 

エリ 「ヒロコ、悪いんだけど付き合って。飲みに」

 

ヒロコ 「という名の合コンでしょ。なんで私が」

 

エリ 「いいじゃん、最近別れたって言ってたし」

 

ジュン 「すみません、巻き込んで」

 

ヒロコ 「えっと、ジュンちゃんだっけ?」

 

ジュン 「はい、そうです。宮本ジュンっていいます」

 

ヒロコ 「あなたがエリに頼んだの?」

 

ジュン 「はい。私、今まで彼氏とかいたことなくて。つい」

 

ヒロコ 「なるほど、それで泣き付かれて断れなかったか」

 

エリ 「わるい?」

 

ヒロコ 「いいや。あんたらしいと思って」

 

エリ 「どこが?」

 

ヒロコ 「会社の後輩のために合コン開くなんて、いまどきあんたぐらいでしょ。

     大学時代の友達まで巻き込んで」

 

エリ 「私だって、需要と供給が合わなければ出来たかどうか」

 

ジュン 「だれか、合コンしたい人がいたんですか?」

 

エリ 「ほんと、たまたまね」

 

ヒロコ 「たまたま、ねぇ」

 

ジュン 「ヒロコさん、都合が悪ければ私が誰か呼ぶので」

 

ヒロコ 「えっ、ああ。別に嫌とか都合が悪いってわけじゃ」

 

にたにた笑ってヒロコを見るエリ。

 

ヒロコ 「あんた、こうなることわかって呼んだでしょ」

 

エリ 「別に」

 

ヒロコ 「あんたも性格悪いよね。それに、エリに合コン頼んできた男も、

     大体読めてきたし」

 

エリ 「マジで」

 

ジュン 「お二人ってそんなに長い付き合いなんですか?」

 

ヒロコ 「まあね。いいところから悪いところまで」

 

ジュン 「どっちが多いですか?」

 

ヒロコ 「4・6ってところかな」

 

エリ 「悪いほうが勝ってるわけ!」

 

ヒロコ 「今はね」

 

エリ 「変動制とはあんたらしいわ」

 

ヒロコ 「ありがと」

 

ジュン 「……2人の歴史が長いことはわかりました」

 

エリ&ヒロコ 「どうも」

 

ジュン 「それで、エリさんに合コン頼んできた方って、どんな方なんですか?」

 

エリ 「ああ、まあ。そいつもそれなりに長い付き合いなんだよ」

 

ヒロコ 「大学のゼミで知り合ったんだよね。エリとそいつは」

 

ジュン 「なんかドラマみたい」

 

エリ 「普通よ、そんなこと」

 

ジュン 「でも、それから六年近くの付き合いなんですよね。大学卒業してからでも」

 

エリ 「まあね」

 

ヒロコ 「ほんと、そういうのってあるんだね。私にはわからない」

 

エリ 「あるのよ、そういうことだって。日本だけでも一億人いるんだから」

 

ジュン 「エリさんがずっと友達だと思える人だったら、

     すごくいい人なんでしょうね」

 

エリ 「それは、どうだろうね」

 

ヒロコ 「あいつをどう思うかも人それぞれね。一億人もいるんだから」

 

エリ 「その通り」

 

ジュン 「名前はなんていうんですか?」

 

エリ 「富永。富永マコト」

 

はにかむジュン。あきれながらも楽しむヒロコだが、エリの様子がどこか寂しそうに見える。

 

シチュエーション…バー

 

 

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マコト、ケンジ、ナオヤがバーにて集まる。 

 

ナオヤ 「なあ、ケンジ」

 

ケンジ 「なんだ」

 

ナオヤ 「今になって合コンするのか?」

 

ケンジ 「それはこいつに聞いてくれ」

 

マコト 「悪いかよ」

 

ケンジ 「大学も卒業して、いまさら合コンってなぁ」

 

ナオヤ 「でも、俺にとっては朗報だけどな」

 

ケンジ 「どうして?」

 

ナオヤ 「人生に落ち込んでいたから」

 

マコト 「おお、同志よ」

 

握手したあと親指を立てあう2人。

 

ケンジ 「お前らだけでやってこいよ」

 

マコト 「それじゃ人数足りないだろ」

 

ナオヤ 「それに何やかんや言いながら、お前も行きたいんだろ?

     わざわざ俺まで誘ってるんだから」

 

ケンジ 「どうして俺の周りって、お前らみたいなタイプしかいないんだろう」

 

マコト 「類友っていうだろ」

 

ケンジ 「だからお前ら2人は、今日初対面なのにそれだけ仲がいいわけだ」

 

マコト&ナオヤ 「まあな」

 

手を叩きあって親指を立てあう。

 

ナオヤ 「でもなぁ、こんな感じって久しぶりじゃないか?」

 

ケンジ 「どういうことだよ」

 

マコト 「どんな女の子が来るのか楽しみな感じ。だよな兄弟」

 

「いえーい」と言いながら親指を立てる2人。

 

ケンジ 「わからんでもないがなぁ」

 

マコト 「なにそんなに冷めてるんだよ。ほんとは嬉しいくせに」

 

ケンジ 「いや、今まであんまいい合コンを経験してないから」

 

マコト 「失敗ってあんのか?」

 

ケンジ 「そりゃな。あんまり盛り上がらなかったり、それこそ今のお前たちみたいに

     期待し過ぎて、当日女の子みて勝手にテンション下がるとか」

 

ナオヤ 「……よし。今ハードルをふたつ下げた」

 

マコト 「まあ、それに関しては大丈夫だと言いたいかな」

 

ケンジ 「ほんとうか?」

 

マコト 「とりあえず、俺が頼んだ人はそれなりに綺麗だと思うぞ」

 

ナオヤ 「ほんとうか!」

 

ケンジ 「じゃあ、なんでその人と付き合わないんだ?」

 

マコト 「……まあ、いろいろあるんだよ」

 

ケンジ 「あっそう」

 

ナオヤ 「でも、本人のお墨付きがあるわけだ。ハードル上昇しま~す」

 

テンションを上げるナオヤ。マコトとケンジが白い目でナオヤを見る。

 

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ryuuraita.hatenablog.com

 

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隣人を愛せよ・1

脚本・物語

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〇登場人物 

  • 富永マコト…24歳
  • 末田エリ…23歳
  • 加持ケンジ…23歳
  • 近藤ナオヤ…22歳
  • 塚本ヒロコ…24歳
  • 宮本ジュン…20歳

 

〇シチュエーション・飲み屋

 

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富永マコト、末田エリがカウンター席に座っている。

 

マコト 「俺はもう疲れたよ、人生に」

 

エリ 「ねぇ、まだ聞かないとだめ?」

 

マコト 「なんでこう、俺は恋愛が続かないのかねぇ。もう嫌だよほんと」

 

エリ 「じゃあどこかに埋まってなさい」

 

マコト 「いやいや、相手からサインを出してくるんだぜ。

     そりゃ男なら乗るでしょうよ、それで付き合うことになるでしょうよ。

     それなのに一ヶ月経って別れようって。もう意味わからん」

 

エリ 「はい、おつかれさまです」

 

マコト 「自信喪失と自己嫌悪と人間不信。今の俺はこれで構成されている」

 

エリ 「バファリン的に言うな」

 

マコト 「ダメだ。もう俺は一生女と添い遂げることはできないんだ」

 

エリ 「ならタイにでも行っちまえ」

 

マコト 「旅費と手術代、出してくれる?」

 

エリ 「ここの飲み代払わせようとしてる男が言う台詞じゃないわね」

 

マコト 「なぁ、エリは俺と長い付き合いじゃないか。どうして長続きしないのか。

     考えてくれよ」

 

エリ 「いいわよ。……わかった、あんたに魅力がないから」

 

マコトが胸を打たれるパント。呆れるエリ。

 

エリ 「付き合っていられない」

 

マコト 「はっ!」

 

エリ 「こんど下らない事喋ったら、伝票そのままにして店出るから」

 

マコト 「わかった、どうして俺が短い期間しか付き合えないのか」

 

エリ 「……なに?」

 

マコト 「今俺は、その女の共通点を見出した」

 

エリ 「どうぞ、喋って気が止むなら」

 

マコト 「1カ月しか付き合わなかった女は、みんな髪飾りを付けていた」

 

エリ 「はい?」

 

マコト 「髪飾りだよ。バレッタっていうのかな? あれを付けてた」

 

エリ 「だから」

 

マコト 「あれを付けてない女と付き合えばいいんだ」

 

エリ 「ぜったい、関係ないから」

 

マコト 「いいや。ここまで2連敗なんだ。確実なデータもある」

 

エリ 「データっていえるか。……ほんとに2人とも、バレッタ付けてたの?」

 

マコト 「ああ」

 

エリ 「あんた、呪われてるんだって」

 

マコト 「そうだよ、これはバレッタの呪いだよ。いや、髪飾りの呪いかな。

     そういや俺小さい頃、妹の髪飾りを壊したことがあるわ」

 

エリ 「よし、じゃあそれを見つけてお祓いに行こう。

    さあ解決したね、良い子は帰りましょう」

 

席を勢いよく立ち上がるエリ。

 

マコト 「待て待て待て、はい座って」

 

手を引いて席に着かせるマコト。

 

マコト 「頼むよ、エリ」

 

エリ 「聞かなくてもわかる。わかるのよ、私」

 

マコト 「ついに能力に目覚めたか」

 

エリ 「あんたと五年も腐れ縁持っちゃったからよ、バカ」

 

マコト 「ならわかってるよな、エリ。

     頭にバレッタを付けない女の子を紹介してくれ」

 

エリ 「……紹介、するの?」

 

マコト 「頼むよ。この俺に掛かった呪いを解けるのは、エリだけだよ」

 

エリ 「……偶然ね」

 

マコト 「なんだよ?」

 

エリ 「今日わたしも、あんたに相談したいことあるって言ったでしょ?」

 

マコト 「そういえば。どうしたんだよ」

 

エリ 「実は、友達から誰か紹介してって頼まれてたんだよね」

 

マコト 「おお、これは何かの導きか」

 

エリ 「はぁ……。隣人を愛せよというけど、愛する対象を間違えたかも」

 

マコト 「キリスト教?」

 

エリ 「そうよ」

 

マコト 「どんな意味なんだ」

 

エリ 「そのままよ。愛するの、隣の人を」

 

マコト 「愛するねぇ」

 

エリ 「そ、愛すればいいの」

 

マコト 「じゃあ、今度隣に来る人を愛すればいいんだな」

 

エリ 「なんか違う気がするけど……」

 

マコト 「エリ?」

 

エリ 「ま、まあそういう感じで。じゃあ、集めておいて人を。3,3でやるから」

 

マコト 「よし、オッケー」

僕たちはネズミと同じである~「新世界より」を読んで思ったこと~

1 先日、私の記事をご紹介いただきました。本当にありがとうございます。 

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www.glocallife.net

 

先日、こちらのブログ主さまにて私の記事をご紹介いただきました。本当にありがとうございます。私としても、映像を見るのが苦手な人の意見はとても貴重なので、参考になりました。

 

ちなみに、ご紹介いただいたのはこちら。

↓↓↓

ryuuraita.hatenablog.com

 

さてさて、今回は映画ではなくて漫画(小説)を元に話をしていこうと思います。

 

僕は仕事で、漫画を紹介するような仕事にも携わっています。その中で「新世界より」という、貴志祐介氏によって書かれた小説を元に、コミカラズされた本を執筆することに。

 

原作はちょこっとだけしか知らなかったので、漫画を読むのは個人的に楽しかったです。で、その中で出てくる「バケネズミ」という存在がいるのですが。このバケネズミをコミカラズするに当たって「かなり力を入れたな~」と個人的には思ったりしながら読みました。でも、それ以上に「僕たちはネズミと何も変わらないなぁ」と、同時に思ったりもしました。

 

2 人はネットにて広い世界を手に入れていない

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headlines.yahoo.co.jp

 

もうすでに過去のことのようになっているが、アイドルが20か所も刺されてしまうニュースが飛び込んできた。刺された箇所から異常性はうかがえるし、何があったかなんて推測するつもりはない。ただ、僕が言及したいのは「ネズミと同じ」と言う点である。

 

新世界より」にて 出てくるバケネズミは、とある方法にて人間と同じように言語を理解し、二足歩行にて生活している。そして、ネズミの習性はそのままに集団にて生活を保っている。この集団には「女王」が存在し、その王の元で繁栄している。

 

僕はこの部分を漫画で読んで、別に人間も変わっていないと感じた。言語を使おうと使わないであろうと、同じ「集団」で暮らしている点は同じである。その広さや言語による集団の棲み分けが違うだけで、やっていることは何も変わらない。

 

「女王」を「言語」に変えても同じだし、「国」に変えてもいい。僕たち人間は、何かに属して生きているわけである。それにいい・悪いのどちらも感じながら、僕たちは生きているわけである。

 

でも、ネットでは少々理屈が違ってくる。ネットでは割と自由に所属先を選択できる。自分が居心地のいい場所にて会話をし、意見を述べる。よく掲示板などを見る人は感覚的に分かると思うが、1つの事案でも全く正反対の掲示板が存在することは多々あることです(昨年の安保法案はいい例だと思う)。

 

じゃあ、ネットを中心に物事を測るようになるとどうなってしまうのか。その1つの居場所が自分のよりどころとなり、ほかの意見に対する抵抗力が弱くなってしまうと僕は思う。自分の意見ばかり立てる人の環境は、あまりいいとは思っていない。むしろ、混合玉石の状態に身を置くほうが、バランス感覚は付いてくると僕自身は信じている。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

決定的だったのは、ツイッターのブロックだと思います。加害者はその前に「なぜブロックしないのか」という内容の書き込みをしています。あれは、「ブロックされたくない」という心理のあらわれでしょう。ブロックされるのが恐いんです。ところが、本当にブロックされて、絶望的になったんだと思います。

 

これ以上は部外者だから何も言えないけれど、この記事やアイドルの案件から言えることは、ネットと言う何も介在しない場所でも、僕たちはいつの間にか何かに「所属」しようとしている点である。

 

加害者の男性は、アイドルに対して自分の所属できる場所を抱いていたのかもしれない。でも、唯一所属できるかもしれない場所=世界への経路を閉ざされた気持ちになったのではないかと、記事やニュースを見て僕は思ってしまった。誰にも相談できず、ただひたすらに「つながりたい」という欲望だけが……。

 

想像でしかないので言及しないが、僕たちは何かに所属したり認められることに躍起なのである。この「認められる」という点では、むしろネズミを凌いでいるかもしれない。

 

3 やたらと「つながること」はいいことか

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zasshi.news.yahoo.co.jp

 

リスクを回避するために、たとえば自分の本を出版した際にも、サイン会や握手会といったイベントの類いのものは一切やっていません。誰だからわからない人と接触するのは、それほどまでにリスクが高いことなんです。

 

 僕はこんな性格だから、「いい」と言われたものには何か裏がないか考えてしまう。紹介している記事にもあるように、人と会うにはリスクがあるし、相手の時間も奪っている。でも、色々とフリーになっている現代では、そうした垣根や警戒心が薄れているのも事実な気がする。

 

たとえばだけど、僕もネットにて「仕事のことで会いましょう」と急に言われたことがある。僕はその人と会うことになったのだけれど、時間にルーズで約束の時間通りにやってこなかった。僕は「なにかあったのですか」と聞いたけれど、別に用事はなかったらしい。

 

その日、彼が僕にした話と言えば、ネットビジネスの押し売りだった。僕はその間仕事もできず、ずっと彼の話を聞くだけで終わってしまった。事前に何のことかもっと聞けばよかったのだけれど、僕にとっては損害以外の何物でもなかった。彼は何も悪びれる感じもなく、断わったぼくを石でも見るかのように去ってしまった。

 

簡単に個人へアポを取れる環境は、大きなビジネスチャンスを生むことに違いない。また、彼にとっては新たな同志を見つける大きなチャンスだっただろう。でも、その思い込みが個人の「なにか」を奪うのだ。

 

今回のアイドルの件や個人的に感じる部分を含め、ネット環境によって「つながる」ことを見直す時期がやってきている。そんな気がしてならない。

 

4 さいごに

 

 

新世界より」にもあったように、既成概念にとらわれた種族や人類は、衰退の一途を辿っている。同じように、高い文明を扱いきれず邁進し続ける種族も衰退する。結局はこのどちらかを繰り返すしかないのかと思うと、僕は少々辟易としてしまう。

 

このやり取りは「バブル世代」と「ゆとり世代」と全く同じ構図であるように感じる。どちらかが「オヤジだから」と言えば、またどちらかが「これだからゆとりは」と言ってしまう。これと同じである。

 

ネットという道具は非常に便利である。ただ、一歩間違えば簡単に「ネズミ」と同じような生活になってしまう。「新世界より」という作品は、そんな怖さを伝えていたのだろうと僕は思った。

 

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ryuuraita.hatenablog.com

 

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「2時間の映画に耐えられない」のが現代人の嗜好

1 映画館で2時間座ってられない

 

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僕が先日会った人は「映画が苦手」と言っていた。映画好きの僕としては聞き捨てならず「なんで?」と聞き返すと、「2時間もじっと座ってるなんて耐えられない」とのことだった。
 
なかなかの理由にあんぐりとしてしまったのだけれど、昨今の映画不況を考えればいいわからなくもない。ただ、その人の話を聞いていくと、映画が「つまらない」というよりも、そもそも「映画を観る価値がわからない」という感じだった。
 

2 映画をなぜ観るのか

 

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映画を観る理由はさまざまである。自分では体験できない経験や人生を経験するためや、趣味として見る人もいる。あるいは、シナリオや映像を仕事にしている人が勉強として見たりする。
 
他の理由としては、他者との時間共有のために映画を手段にすることもあるだろう。簡単に言うとデートである。でも、最近はデートに映画を選ぶ人も少ない気はするものだ。
 
紀伊国屋」のとあるコーナーに「昔の人と今の人ではこんなにデートの価値観が違う」というものがあった。「昔」とは主に高度経済成長からバブル期を指しており、そこには高級志向が立ち並んでいた。ブティックやレストランなど、そのような場所にてデートをするのが一般的だった。
 
しかし、今ではモールやチェーン店、カフェでのお手軽な場所にてデートするのが主流となっている。昔に比べればカジュアル思考が強いと共に、僕は実益を兼ねているように感じた。
 

3 無駄が嫌いな現代人

 

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何かと「お金」と「時間」にうるさい昨今であるが、それは私生活にも浸透しつつあるのだと僕は思う。これが「映画離れ」の一端にもなっているのだと、僕は多少なりとも思うわけだ。
 
最近の若い人は2時間ドラマでも、最初から最後まで理解するのが難しいらしい。よく前のチャプターやシーンに戻りつつ内容を把握するするとか。単純に「理解する力の低下」という言葉で片付けるのはナンセンスだろう(事実、歴史に対する認識の低下を考えれば、もちろん0ではない)
 
しかし、現代に溢れるコンテンツを考えれば、2時間の物語を理解できないのも納得してしまう。
 
 
この子どもは、写真だけでなくうまく動画を使って人気や注目を集めた。その中には1秒だけの動画まであり、これには僕自身も驚いた。
でも今思えば、これは日本でも1秒とは言わず短い動画コンテンツへどんどんシフトしているわけである。これはX氏も言われており、たとえば千本桜でも「短い動画の中にきちんとシナリオがある」と分析をしていた。
 
前の記事でも取り上げたが、今では1秒の動画がある世界。そして、短いコンテンツをたくさん楽しむのが現代風である。小説でいえば短編だろうか。
 
短いコンテンツが売れるのは、「二次創作」の流行とも結び付く気がする。1つのコンテンツから派生する別のコンテンツは、根元では共通部分がある。長い1つのものを楽しむのではなくて、自分が「おもしろい‼︎」と感じたものを手を替え品を替えて楽しむ。これならば、自分が一度気に入った「おもしろい‼︎」だからハズレを引く心配もない。忙しい現代人なりの楽しみ方なのかもしれない(これに味を占めて続編の嵐となり、コンテンツの質を低下させている側面もある)
 
この流行を考えると、やはり2時間もの時間で、さらに新しいもので現代人に「おもしろい‼︎」と思わせるのは、至難の技にも思う。
 

4 余裕のない国、日本

 

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僕はギリギリ昭和の人間だし、映画が好きだから言う。無駄が大好きである。
今の人みたいに、すべて時間とお金を引っ付けて考えることはできない。そんなギスギスした生活はまっぴら御免である。
 
しかし、現在の日本は貧乏である。これは今後僕たちが自覚しなければいけない事で、とくに「日本は戦後から立ち直った」と錯覚している人たちに突きつけなければいけない現実である。
 
 
この記事からもわかる通り、世界では物価は上がっている。それに対して日本では、物価は下がったままで円を大事にしている。
事実、外国人が日本を旅する事がおおくなっている。これは、自国で稼いだお金で日本に来るのは容易になっている表れだろう。僕が住む地域でも、心なしか外国人が増えたような気がする。
 
それだけで国の豊かさや価値を表すことはないが、現実問題として日本での住み辛さって上がってきている気がする。老人の今後だけでなく、将来を担う子どもに無頓着な運営。だめなことが分かっているのに、なかなか変えられない現実。
 
このむず痒さは異常のような気がするのだが、結局はデモや書き込みだけで終わってしまう残念さ。本質から変えるには、やはり政治や中央政権から変わるしかない。だけどその前に、自分たちが変わる必要がある。「攻殻機動隊」という有名なアニメの主人公も言っていた。
 
世の中に不満があるなら自分を変えろ。
それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。
 
変わりたい気持ちは大いにあるのだと思う。でも、やるべきこともせずに「理想郷を作ろう」と言われても、その言葉は空虚である。ただ「世の中をよくしたい」や「保育園落ちた死ね」には恣意的なものを感じるし、本当はどうしたいのか見えない。だから、あまり支持する気持ちになれないんだと思う。
 

5 政治家が嫌がる事じゃなくて「お金を掛けたい」と思わせないと

 

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僕たち日本人は、どうしても公共やそれに属する人たちを「外の人」や「敵」と認識する。本当はそんなわけもなく、まぁ味方でも無い。彼らは限りなく「0」でないと行けないと思っている。
 
たとえば、街中にある公園。この公園は公共のもので、言ってしまえばその土地の行政のものである。しかし、多くの利用者はその土地に住む人たちのものである。この土地は行政の人たちが好き勝手に使っていいものではない。
 
しかし、この公園から遊ぶ声がうるさくて「撤去しろ」という声があったとしよう。実際にその声が大きくなって取り壊されたとする。この時点で−1となる。マイナスにしたのは誰か。そう、地元の人間である。行政は市民の声に従っただけである。これでは、政府や地元の行政がお金を掛けようとしても掛けられない。だってマイナスにしかならないのだから。
 
これはミクロな考え方だけど、これがどんどん大きくなって政治につながっているのだろう。もちろん、こんなに簡単ではないだろうが、根っこは同じなのではないかと思う。

6 どうせ「無駄」なら休みを充実させるほうがマシ

 

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僕たちがただ「〜反対」や「〜しね」という意見を言い続ける事にどれだけのメリットがあるのか。先ほどの例の通りである。マイナスはマイナスでしかないのである。無理に全体を変えようとすれば、それだけ歪が発生する。反対である、自分が変わらないといけないのである。
 
あくまで自分が住む街を作るのは自分たちだし、その土地での「公共」に属し、よくしていくアイデアは自分たちで考えるしかないのである。
 
無駄だと思われるような事をするならば、デモでは無くて、まずは自分の余暇を楽しむ事のほうが先なのではないだろうか。それこそ2時間の映画にも耐えられない人は、自分が行動して何かを変えたことに「何も変化していない」と、自分で自分を引っ掻きそうな気がする。

それに、余暇があればアイデアを生み出し、愚痴る前に「こうすれば生活がよくなる」という行動につながるのではないだろうか。そこに対する無駄なら、大いにすべきだと思う。
 
たとえばだけど、田舎で行われる「トライアスロン」なんていい例な気がする。田舎にも関わらずお金を掛けるのは、そこにメリットがあるからである。とかく政治に対するただの野次が最も「無駄」である。
 
あるバーのマスターの言葉だけど「騒ぐだけで願いが叶うボーナスステージは赤ちゃんで終わり」と言っていた。
 
これは非常に真理なのではないかと、僕なんかは思ってしまうわけである。
 
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引っ越しとコメント

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ども、リュウ・ライタです。

前々から決まっていた引っ越しが、

やっと完了しました。

いや〜面倒だった笑

まだ体はだるくて、書く仕事に

集中し切れない私がいます(-。-;

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あまりに片付けも飽きて、

その途中にあるゲームにて

遊んでしまう始末です。

……まぁ、あるあるなんじゃないですかね笑

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あと、ブックマークにコメントを

ちょくちょくいただいたり、

したりするのですが。

コメントもらったとき、

どうやって返すんですかね(-。-;笑

他の人にコメントしたとき、ちゃんと

返してくれる人の見ていると

「俺も返して〜」となるのですが、

自分はどう探しても返せない……( ´・‿・`)

あんまはてなのヘルプ、ヘルプしてくれないしなぁ……。

こんなこと言ってゴメンナサイ笑

でも、7割は事実な気がしますけどね〜

近況報告と愚痴になりましたけど笑

それでは、また。