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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

救いを求める大人、自由を求める子どもたち

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俺は最近、「児童福祉士」について調べることがあった。

 

「児童福祉」とは、いじめや虐待、育児放棄を受けた子どもたちの心のケアを主に生業としているようである。ほかにも身体的障害・発育障害を持った親御さんのフォローにも努めているとのことだ。

 

「児童福祉」と聞くと、どうしても子どもにフォーカスした仕事だと思いがちだが、実際のところは親への育児に関するフォローや相談も業務の中に入っている。私としても育児とは「子ども」だけのものではなくて、「親と子ども」はセットのように思っている。子どもだけでも、大人だけでも「親子」にはなれないのだから。

 

もっと調べてみると、現代では児童福祉士の数は増えており、それは悩んでいる人や虐待に合っている人が増えていることを意味する。しかし、もっと言えば「育児に悩んでいる親」も同じぐらい増えているんだと思った。

 

近年で虐待相談数は7倍近くになった。

suzie-news.jp

 

昨今、児童虐待事件が多く報じられています。厚生労働省の発表によると、平成26年度、全国の児童相談所での児童虐待相談対応件数は8万8,931件。児童虐待防止法施行前の平成11年度に比べると、7.6倍にも増えています。

 

虐待だけで見てもこれだけの数になっているのだから、育児に関する相談や問題というのは、表面になっていないものを含めればもっとあるのだと思う。

 

先日、東京出身の人に「東京では副業が当たり前」という話を聞いた後、、どうして政府がマイナンバーを導入したいのかちょっとだけ得心が言った。問題が表面化しているときには、すでに問題ではなくて「事件」や「事故」という形で出現するのだと思った。

 

私は今の仕事に集中する前は塾講師の仕事をしていた。そのときでも、シングルマザーや経済的にギリギリそうに見える子どもたちは割と見かけた。私のような地方都市の人間でもこうした人たちをみるのだから、東京などの都心になればマンホールの下で暮らしたり、すでにストリートチルドレンなどがいるのではないかと思ってしまう。実際、私が知らないだけでいるのだろう。私が想像できてしまうぐらいなのだから……。

 

私は子どもを持っている訳でもないので、あまり偉そうな意見を言えるわけではない。だが、スマホばかりみて子どもが店内を走っている姿を放っているような親御さんを見ていると、やはり「虐待」や「ネグレクト」と言った問題は、自分とまったく関係ないとは思えない自分がいた。

 

なぜ大人たちは過保護・無視をするのか。

 

www.b4s.jp

 

「虐待」という言葉は、悩みながら子育てをしている親を追いつめ、かえって外から見えにくくしてしまうという指摘もあります。一方で、少子化に伴い増えてきている親の「過保護・過干渉」も子どもの成長にとって深刻な問題であると考えられています。

 

誰もが完璧な育児なんてできると、そもそも私は思っていない。しかし、誰もが同じような育児や教育をしようと思っている。そんな発想が今の、しんどい「育児」みたいな環境を作っているのではないかと私は思ったりする。

 

これは仕事などでも感じるところなのだが、私の上の世代の人は、後輩などに「自分と同じようにする」ことを求めているように感じる。それがある種の正解だとは思う。先輩のまねをすることで、仕事は覚えることができると思う。しかし、それは結局のところ「過保護」につながっているように感じる。

 

これは反対の「無視」でも言えることだと思っている。新入社員に対しても何の指導もせず、基本的なことは「見て覚えろ」というだけで、何も指導しない。これはアメリカでよく言われるところの「床上手な処女を探せ」と言っているのと同じだと思う。

 

どちらにしても、今の若い世代の人たちには、昔の人のような欲望の強さや精神的なタフさは備えていないかもしれない。しかし、上の世代の人たちは「能力を引き出す力」は欠けているに私は感じる。これは時代的に、教育が「平凡な仕事をこなす人」を作るようになっているのに、仕事では「即戦力」を求める作りになっていることにも起因していると思うなど、かなり個人的な感覚でしかない。

 

だが、この感覚が間違っているとは思わないし、先日みた「シン・ゴジラ」でも描かれていたように、私の上の世代が考えていることと、今の若者が考えていることや発想の仕方には大きなかい離が生まれているのは確かだと思う。

 

 

ryuuraita.hatenablog.com

 

大人も「教育」に熱中している。

 

今では私の地域でも「コンサルタント」と呼ばれる人たちがひしめきあっている。「コンサルタント」という言葉にあまりいい印象を持っていない人も多くいるが、私としては知り合いにきちんと仕事をしている人もいるので、一概にすべての人が「悪い」というつもりはない。結局のところ、私はこの人種を「使う」人や「利用」する側にも問題があると感じているからだ。

 

今は大人の人たちでも、これからの生き方について考えあぐねいている。どうすればこの不景気の日本でも生き残ることができ、損をしないのかばかり考えているように感じる。

 

だから、どの大人も「レッスン」や「セミナー」にこぞって参加して、知識を得ようとする。しかし、その知識を利用している人がいるかどうかと言えば、それもまた「利用者」の問題なのである。どれだけセミナー講師が話をしたとしても、実践するのは半数いるかどうかである。下手すれば1割の人が実践すればいいほうである(これもセミナーを実際にしている人からの体験談による)。

 

今の若者たちは、先代の人やセミナー講師、ハウトゥー本から得た知識を「焼きまわし」されているだけに過ぎない。これで健全な知識を得たり、技術を学べるかと言えば、それは難しいように感じる。みんなが「同じこと」をできるように求められる限り、どの人もがハウトゥーの焼きまわしを繰り返すのだと思うと、私個人としては辟易としてしまう。

 

これは、育児でも同じである。明らかな「間違い」は正すべきだと思うが、人それぞれ千差万別なのだから、「ちょっと」した違いが各家庭で発生するのは当然なのではないかと思う。だが、誰もが「正解」という解答を求め、「家族」というハコに同じようなモデルを詰め込もうとしている。私が見る現代とは、このようなイメージである。

 

大人は救いを求めて、子どもは自由を求めている。

今の大人たちは、先ほども紹介したハウトゥーなどに救いを求めているように感じる。これに対して子どもたちは、どこまでも「自由」を求めているように思う。

 

www.sankei.com

 

最近では、現代では高層マンションに住む子どもが高さの危険性を認識できず、転落死してしまうことが増えているらしい。この背景に、子どもが自由に動けるスペースが減っていることが起因しており、子ども自身が危機管理能力のコントロールが難しくなっているらしい。

 

体を使うことで、自分自身の身体の限界を知ることができます。ここまでの高さなら飛び降りても大丈夫だけど、これ以上の高さはまだ危ない、など。そうすることにより、子どもが自身で危険をコントロールできるようになり大きな怪我をしにくくなります。

https://meotalk.jp/childcare/4446

 

この考えが絶対などと言うつもりはないが、今ではちょっと危ないことをすれば訴訟、賠償、弁償という世知辛い言葉ばかりが先行し、子どもが自由に遊べる場所が少なくなっているのは事実だと思う。日本という狭い国土では仕方ないことかもしれないが、現実世界では子どもが自由にできる場所があまりにも少なくなってしまっているとは感じる。

 

しかし、それはすべて大人の「事情」である。子どもに「何でもできる」と誤解させるのはよくないが「挑戦してみる」ことの余裕は必要なのではないかと感じてしまう。どうしても「コスト」のような価値観が先行し、がんじがらめになっているようなイメージはある。

 

だが、子どもたちは自由を求めている。求めた先が、インターネットであり、そこでの自由な創作活動やコミュニケーションにつながっているのだと思う。大人がさまざまなことを制限した結果、スマホに辿りついた子どもたちが「スマホしてはダメ」なんて言われた日には、子どもが発狂しても仕方ないと私としては思ってしまう。

 

別に「昔が良かった」などと回帰主義を唱えるつもりはまったくないが、もっと私たちなりのアプローチを間違いながら、遠回りしながら、地道にやっていくしかないと私個人としては思ってしまうわけである。人間がいきなり賢くなるような「賢者の石」など、この世には存在しないのだから。

 

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線路は続かない、どこまでも・6

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6・

 

俺は自分が降り立った駅まで戻ってきた。

 

自分が降り立ったのは街中を走る市内電車の駅で、一定の地域をぐるりと回るように走っている。

 

駅には1両編成の電車がやってきており、俺は人が降り立ってくるのを待った。

 

しかし、そこには誰もいなかった。

 

俺がそこで見たのは、電車に乗っている異形の怪物であった。

 

電車内には毛だらけで、人の胴体ほどの大きさである不定形の塊が、何十本かの触手らしいものだけで浮いていた。

 

浮いていた、というよりも立っている、と表現するほうがいいのであろうか。

 

触手の1本はスマホを持っていた。

 

画面に触手が溶け込んでいるような形で、スマホには生き物の血管のようなものが走っているように見えた。

 

電車から異形の存在は、誰も降りてこようとしない。

 

異形の存在は電車パンパンに詰め込まれており、誰もがスマホを持って、何かとコンタクトを取っているように見えた。

 

その光景はおかしいと思う自分はいるが、そこに対して自分が何か働きかけることができない。

 

数の暴力が俺の行動を縛り、まるで「この世界ではお前のほうがおかしい」というような圧力さえ感じる。

 

異形の存在は全く俺のほうを向くことはなく、集まって「ここにいるよ」という主張をしているように見えた。

 

電車は俺のことなどいないとでもいうように、誰も降りてくることなくどこかに向かって走り出した。

 

俺はそれに乗ろうとはしなかったし、乗りたいとも思わなかった。

 

まるで循環線のように、同じようなものだけが集まっている場所に、俺は混じりたいと思えなかった。

 

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線路は続かない、どこまでも・5

小説

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5・

 

目が覚めたとき、電車はすでに停車していた。

 

俺は重い頭をもたげながら、窓から外の景色を覗いてみた。

 

窓から見える建物は手入れが行き届いておらず、外壁が崩れていたり、屋根の塗装がはがれたりしていた。

 

俺は体を起こし、おそるおそる電車から外に出てみた。

 

まるで早朝のように暗く、白いモヤが掛かっていた。

 

遠くを見ようとしても、見えないほどにモヤが掛かっている。

 

俺は降り立った駅名を見てみるが、駅名は「存在しない街」となっていた。

 

存在しない街、どこだそれは……。

 

俺はぼそり、と言葉にしてしまった。

 

存在しない街、なのに駅名になっているという矛盾。

 

ここは本当にどこなのだろうか。

 

俺が知っている街、ではないことは確かなようである。

 

確か、と思い込まないと俺の精神は石ころ1つぶつけられただけで崩れ去りそうだった。

 

とにかく駅から離れ、周辺を散策してみることにした。

 

少し歩いただけでも、大きなビルや一軒家、デパートらしい建物が立ち並んでいるのがわかる。

 

おそらく街の中心街で、人々が多く集まる場所であったと思われる。

 

しかし、そのどれもが時間経過によって汚れや老朽化が目立ち、使われていないことがわかる。

 

この街には誰もいないのだろうか。

 

むしろ反対に、こんな場所で人になんて遭遇したとしても、俺は頼ることなんてできそうにない。

 

こんな街に居つく人間なんて、浮浪者や火事場泥棒以外にいないだろう。

 

俺は自分が電車に乗っていた経緯を思い出そうとする。

 

俺は駅のホームを移動しようとしたとき、地下の道を通っていた。

 

そのとき、フードを被った怪しい人に刺されてしまった。

 

刺された後、俺はなぜか電車に乗っていた。

 

その電車に乗って「存在しない街」にやってきていた。

 

俺は自分が生きていることさえ認識できない。

 

「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉なんてあるが、今はそんな言葉が本当に言葉でしかなくて、何の役にも立たないと思わざるを得なかった。

 

途方に暮れているときガシャンガシャン、という音が聞こえてくる。

 

俺が降りた駅のほうから、電車が走っているであろう音が聞こえてきた。

 

俺は一縷の望みを持って、降りた駅に向かって駆け出していく。

 

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線路は続かない、どこまでも・4

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4・

 

俺は目が覚めると、電車の中にいた。

 

高級な電車というよりは、田舎町をつなぐような、

 

いわゆる「ドンコ」と言われる各駅停車の電車のようだった。

 

俺はさきほど刺された場所を調べてみるが、

 

どこにも異常は見られなかった。

 

窓から見える景色はどこか現実感が無く、

 

自分がこの電車にいつ乗って、

 

いつ降りるのかわからなかった。

 

 

線路は続くよ、どこまでも~♪

 

 

俺の頭には、ふいに子どものころに聞いた

 

童謡のフレーズを思い出してしまった。

 

線路はどこまでも続くだろう、でもそこには終わりがある。

 

物事には何にだって終わりがあるものだ。

 

線路に沿って、電車に乗って旅をする人にも、いずれか終わりがやってくる。

 

長いシベリア鉄道にだって、ウラジオストクという終着駅がある。

 

何にだって終わりはある。

 

終わりがあることは悪いことではない。

 

だが、しかし、俺がいた世界ではみんなが「終わり」を拒否しているように見えた。

 

いつまでも自分がのさばり、勝とうとしているような気がした。

 

それが死肉に群がるゾンビのように見えて、俺には醜い姿だった。

 

この電車もそうなのだろうか。

 

終わりのない、終着駅のない、同じ線路を永遠と走り続けるのだろうか。

 

それとも、確実な終わりに向かってこの電車は走っているのだろうか。

 

何もわからない、でも、不安はなかった。

 

俺は自分の体を電車にゆだね、終着駅に付くのを待つことにした。

 

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線路は続かない、どこまでも・3

小説

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3・

 

俺が立っている駅のホームは市内と郊外をつなぐのが主な役割となっている。

 

ホームには3つの線路があり、それぞれの方向に向かって伸びている。

 

俺は反対側のホームから電車に乗るので、向こう側に渡るため地下通路につながる階段を下りて行った。

 

階段を下りるごとに、こつんこつんという音が通路内に響き渡る。

 

誰もいない、そして冷たい空気が地下通路には張り付めているのがわかる。

 

下まで降り切ると、正面階段と左手に道が伸びている。

 

俺は左を向いて、反対ホームへと向かい出す。

 

すると、反対側から誰かが降りてくる音が聞こえてくる。

 

階段か降りてきた人は、夏だというのにフード付きの服に、ジーパンを履いていた。

 

ジーパンはともかく、フード付きの服は長袖で、見ているこちらが暑くなってしまう。

 

俺はその人を見ないようにして、できるだけ目を伏せながらホームへ歩いていく。

 

しかし、人間というのは「いない」や「見ない」と意識するほど、「いる」や「見たい」という気持ちが湧き出てくるものである。

 

「ない」と意識するのは、「ある」と意識するよりも気持ちとしては強いものがある。

 

これは、人の拒絶の気持ちと同じなんだと俺は思う。

 

人は何かのものに対して「ない」と意識してしまう。

 

じゃあ、それで自分にとって「ある」ものが見つかるかといえば、割りとそうでもない。

 

人は「ない」ことを意識してしまうと、その「ない」ことばかりを考えて、本当は自分に「ある」ものまで排除してしまう。

 

否定の気持ちは否定しか生まないのに、人は「ない」ものをどうしてか考えてしまう。

 

そして今の俺も、まるで憑りつかれたように人が「いない」と意識してしまっていた。

 

「おにいさん」

 

俺は突然の声にギョッとする。

 

目の前には、先ほどまで俺が「いない」と意識していた人がいた。

 

フードは目ぶかまで被っており、どうしても顔を見ることはできなかった。

 

目の前にいるのに、なぜか相手の顔を見ることはできなかった。

 

「どうしてそんなに驚いているんですか?」

 

声からすると男っぽい。

 

俺は後ずさりしようとするが、その前に思い切り右手をつかまれる。

 

フードの人はもう片方の手で、ジーパンのポケットからナイフを取り出す。

 

俺は声も出なかった。

 

出そうとしたときは、すでに喉元が熱くなっていた。

 

がふっ、と咳と共に大量の血がこぼれだす。

 

俺は膝から倒れ込み、喉元に手を当てるが血が止まるわけがない。

 

「すまないな」

 

俺は最後に、自分を切りつけた犯人の顔を確認しようとする。

 

しかし、すでに目はかすんでしまっていた。

 

薄くなっていく意識の中で、俺の耳だけが機能する。

 

「だが今回の死因は、お前にあるんだ」

 

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線路は続かない、どこまでも・2

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2・

 

俺は一定の仕事を終えてから、その場所にいたカフェを後にして駅に向かった。

 

基本的に移動は自転車から電車などの公共機関で、車は持ち合わせていない。

 

車は好きではない、これは持てないからという単純な理由からではない。

 

私は幼少のころ、車に轢かれた経験がある。

 

車に潰された私の右足はボロボロになって、現場は騒然していたようだ。

 

幼少ながら、周りの人が俺に声を掛けている記憶はあるが、体の防衛反応か痛みや苦痛までは覚えていない。

 

しかし、自分よりも周りの人間の反応を見れば、自分がどれぐらい危険な状態だったのかは想像できる。

 

幼少のころにはわからなかったことだが、今冷静に判断すれば、あの事故がどれだけ自分にとって人生の分水嶺になっていたのかはわかる。

 

事故にあったこともあるが、それ以前に車を運転することは苦手だし、何よりも自分でどこでも行ける気持ちになる車という「わがまま」な存在が好きではなかった。

 

俺は駅に着くと、ICカードをかざしてホームへ向かおうとした。

 

しかし、なぜか俺のICカードはすでに「入場済」となって弾かれた。

 

おかしいと思いながらも、今回は切符売り場でお金を支払ってから入場することにした。

 

ホームにはスーツ姿のおじさんや3名で固まっている婦人、手押し車を持った女性の老人、鼻からチューブが出ている男性老人などがいた。

 

俺はそこに若い人が見受けられないことに絶望する。

 

この人たちは今から、どのようにして自分たちの社会を形成するのだろうかと思うと、俺は目をそむけたくなってしまう。

 

年配の人は「若い人は根気が足りない」だとか「きちんと年金を払え」と言うが、それは自分たちの時代感覚や給料ベースでしか語っていないから、結局は俺たちにすると「なんで」という言葉にしかならない。

 

お金や根気を出す以前に、俺たちにはそのベースとなる「技術」や「資本」となるものがまったくないのだ。

 

それがあれば少しは根気なりお金なりだせるかもしれないが、上の世代が資本や技術を自分たちで食いつぶし、下の人たちに残そうしていない中で、俺たちはどうやって上の世代を敬ったり介護したりできるというのだろうか。

 

以前、衰退した林業に挑戦する若者の姿を描いた映画でも「すべての木を取ったら、次の奴らが食えなくなる」みたいな話をしていたのに。

 

しかし残念ながら、往々にして今プラットホームに立っている人たちは、自分たちがお金を支払えば他人の時間を食い散らかしてもいいと思っているのだと思う。

 

俺には目の前にいる人たちはまさにゾンビで、人の肉を食いちぎってのさばっているように見えなくもない。

 

俺には今の世界は、子噛み孫食うような世界でしかなかった。

 

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線路は続かない、どこまでも・1

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1・

 

「俺の仕事場はカフェで、パソコンで記事書いて生計立ててます」

 

会社の面接でこんなことを言えば、頭を白くした人たちは何て言うのだろうか。

 

俺はいわゆる、就職活動というもので失敗した。

 

大学に行った理由もよくわかってなかったし、そこで何をするのかもよくわからなかった。

 

働かなければいけないのだろうという感覚はあったけれど、

 

それ以上に「なにがしたい」とか、

 

「なにをしなければいけない」という

 

感覚は全くなかった。

 

大学に行けばその先の人生もそれなりに勝手に決まって、

 

いつかは映画のように、

 

自分の子どもと衝突しながらも、

 

それなりに「これで人生から引退だな」とか

 

思う自分を想像していた。

 

それなのに、ちょっと仕事がない時期に「就活しろ」とせがまれて、

 

無理なことを急にすると周りから「無能」や「さとり」なんて言われて、

 

俺は一気に「会社」というやつが嫌いになった。

 

元々田舎に住んでいたのもあってか、人の集団は嫌いだった。

 

田舎の人間はすぐに群れて、みんなで同じことをしようとする。

 

彼らやいじめをする人たちは、別に仲間外しをやっているんじゃない。

 

同じ価値観の人間で固まって、理不尽な価値観を撒き散らしているだけだ。

 

俺は会社にも、それと同じようなものを感じてしまった。

 

自分たちの会社に属さない人間を異物に見て、

 

まるで面倒なペットでも見るような視線。

 

一昔前なら、特に「バブル」とかいう時代なら、

 

会社が学生を囲い込んでまで入社させようとしたのに。

 

会社が疲弊して人がいらなくなった瞬間、

 

俺たちただ大学に通っていた人間は

 

「売れなくなった家畜」だったのだろう。

 

あいつらの視線がそう思えてならず、

 

「会社で働く」というものは実は理想で、

 

あいつらは「社畜」ならぬ「家畜」が欲しいだけなのだ。

 

大学時代の末期には、俺はそこまで「会社」という存在を恨んでいた。

 

今こうしてパソコンの前で仕事するようになってからは、

 

そこまで会社に対して嫌悪を抱いてはいない。

 

だからと言って、好感を持っているわけでもない。

 

俺の胸には会社に対する確執と共に、

 

新たなライフスタイルを求める「開拓者」のような

 

野心が煮えたぎっている。

 

俺は自分の時間を、野心を抱く機会を奪われたと錯覚していた。
 
だが、人は何も失わない。
 
大事なことを忘れるだけである。

 

俺は自分が忘れていたものを取り戻すため、

 

いまここからスクラップ&ビルドならぬ

 

ライズ&ビルドをしていかねばならない。

 

俺は自分にそう言い聞かせながら、

 

他人の思いを文字に起こしていく。

 

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