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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】情報のインプットとアウトプットにおける人と機械の差異・1

1000字コラム

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http://rocketnews24.com/2015/07/02/603628/

 

1.機械に奪われる人の仕事

 

現代では数々の仕事が機械に奪われ、そのうち人のやる仕事は無くなる。

 

これは科学者や学者がよく言っていることで、SF小説や映画でも提唱されることである。

 

これに加えて人工知能の発達により、さらに機械は人に近づいたことになる。

 

機械化の波に人は悲観的になり、次第に仕事が無くなると明日のわが身を呪ってしまいそうになる。

 

しかし、私としてはアンドロイドや機械にすべての作業を任せるようにならない限り、

 

まだまだ機械に作業をインプットする側の私たちにできることはあると感じる。

 

それに、人間が動物との違いを見出してきたように、

 

人工知能を含んだ機械が人間との違いを生み出すには

 

エクス・マキナ」ぐらいの技術力が必要になってくるだろう。

 

2.映画「エクス・マキア」とは

 

エクス・マキナ」とは2015年に公開されたイギリスの映画である。

 

特殊な検索エンジンを作る会社の社長が、その検索エンジン

 

さらに発展させた人工知能を持つアンドロイド「エヴァ」を作り上げる。

 

そのアンドロイドの思考実験をするため、検索エンジン会社に努める男性社員と

 

エヴァの会話が繰り広げられるのが本筋となる。

 

その中で人間とアンドロイドの思考ゲームがはじまるのだが、

 

人工知能の人間との謀略の様子はまさに、

 

人間の生き残ろうとする行動と何ら変わらなかった。

 

3.人も元をたどれば自然の中の「機械」である

 

劇中では人間の定義するところが語られるシーンもあったりするが、

 

その過程では呼吸することや恋愛をすること、心臓を動かすことなど

 

人間の根源的な生きることについてはすべて「プログラム」であると語られる。

 

そもそも人は機械的であり、実は人間が機械的だからこそ

 

アンドロイドを生み出しているのではないかという暗示さえある。

 

私もこれは思うところがあり、人は結局プログラム通りに

 

動いているのではないかと思うことさえある。

 

人が子孫を残そうとするのは動物的なプログラムで言えば当然であり、

 

それに抗うことのほうが実は苦痛なのではないだろうか。

 

もちろん、人によって差異は出てくるだろうが、これは

 

厳然たる事実として受け止め化ければいけないのだろう。

 

4.「コンフリクト」こそ人の力

 

人間が人間たる力とは何だろうか。

 

私が思うのは「悩む力」だと思っている。

 

人は悩むからこそ考えるし、

 

自分に置かれている状況を打破しようとする。

 

人は悩んだ末、自分のコピーであるアンドロイドを生み出した。

 

その結果が機械化であり、自分たちのコピーを生み出したために

 

自分たちの仕事が無くなっていくのも当然の帰結であるように思う。

 

私たちがコピーに勝つ方法、それは

 

やはり「悩む」という不合理で、機械ならば

 

絶対に取らない行動なのではないだろうか。

 

人間的成長を捨てない限り、私はまだ

 

人間の社会に絶望するには早いと感じる。

 

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【1000字コラム】「WELQ」をはじめとするまとめサイト記事の問題は今にはじまったことではない

1000字コラム

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1.「WELQ」問題なんて氷山の一角

 

headlines.yahoo.co.jp

 

今、「WELQ」をはじめとするキュレーションサイトにおける記事の是正について話題が飛び交っている。

 

これはライターにとって死活問題のように見えるが、それはそのサイトで稼いでいる人に限ったところであると私などは思っている。

 

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たしかに、案件としては多数存在しているかもしれない。

 

私も以前は執筆していたことがあるが、その無意味さをブログにしたことがある。

 

元来、キュレーションサイトの記事なんて本業ライターはお小遣いをちょっと稼ぐときぐらいにしか執筆していないかと思うし、私も現在はキーワード先行の記事は執筆していない。

 

実際、1文字1円以下で書かされている現実はあるだろうし、そのような案件をたくさん見てきた。

 

だが、本業ライターならばそのような案件がどれだけ意味がないものと判断し、すぐに手を引いているのではないかと思ったりする。

 

情報とはネットで語られるものではなく、終着点でしかないからである。

 

2.あるサイトを運営するセミナーでの一幕

 

私は東京で、とあるライター向けの無料セミナーに参加したことがある。

 

そこではメディアライターとしての文章の書き方について語っており、基本的にはネットで検索した情報を元に文章を書く講座内容になっていた。

 

私は「無料なりの内容だな」と思いながら講習を受けていたが、その中で1人の受講者が「ネットの情報にある数値や方法が事実だと確認するためには?」という質問を投げていた。

 

それは私も常に感じているところなのだが、質問を受けた運営側は少し答えに詰まっていた。

 

やっと出た答えというのが「検索して同じ情報が多ければ、それを信用する」という感じだった。

 

だが、ネットでは悪貨が良質を駆逐するごとく、コピーされた情報によって本物の情報が見え隠れすることは多々あると私は思ったりする。

 

3.洋画ではすでに語られた問題

 

こうした情報の問題は、新聞ではあるが「ニュースの天才」ではすでに描かれた問題である。

 

大手メディアから発信される情報ならば真実であるという刷り込みにより、誰もが大手メディアで書かれた記事については疑うことがなかった。

 

しかし、その思い込みによりある記者がゴシップだらけの記事を大手新聞に載せてしまう実際の事件を映画したのが「ニュースの天才」である。

 

映画や今回の「WELQ」において、問題を起こした側が糾弾されるのは仕方ないと思う。

 

しかし、受け手である私たちが情報に対する感度が低く、それを精査する術が無かったことも事実だったのではないかと思ってしまうのである。

 

新聞にしろネット上にしろ、それは情報を得る場所でしかない。

 

だから、そこにあるからと言って絶対に正しい情報が載っているわけではないことを、やはりこうした情報送受信時代には、もっと自覚すべきなのではないかと思わざるを得ない。

 

もちろん、書き手として正しい情報をわかりやすく伝える義務はあるのだが、そこに対して受け手からはむしろ疑ってほしいぐらいである。

 

そうした目があることで、書き手や情報発信者はいい意味で緊張を覚えられるのではないかと私は思ってしまうのである。

 

それは揚げ足取りをするためではなく、悪貨が良質を駆逐するのとは逆の作用を期待したいからだ。

 

4.どのような情報ならば信頼できるのか

 

では、どのような情報ならば信用できるのかと言えば、やはり人の生の声に他ならない。

 

誰かの経験や体験したこと、情報をヒアリングしてまとめ直す。

 

これこそが書き手がやることであり、メディア本来が持つ意味なのではないかと思う。

 

だから、きちんと記事のことについて知っている業者は「情報」にお金を払う。

 

取材費、移動費、情報を得る時間……。

 

きちんとした記事を制作する会社は、これらの部分にお金を使う。

 

反対に、安く上げようとする会社ほど、これらの部分にお金を出さない。

 

私も仕事を受ける際は、この部分に注意して契約を結ぶことが多い。

 

何文字書いたからそれだけのお金を払うのではなく、

 

その情報がどれだけの価値があって、どれだけのお金を動かしたいのか。

 

それを考えるべきだと思ったりする。

 

5.若い人はネット記事やランキングを意識しない

 

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これも以前記事にしたが、最近の10代や20代前半はネット記事にそこまでの信頼を寄せていないらしい。

 

それはSEOの仕組みで作られた記事であることをしっており、その記事の信ぴょう性が薄いことを知っているからである。

 

だからといって別のサイトやSNSだけに事実があるとは言わないが、やはり情報を本当の意味で「編集」し、広く多くの人に伝える技術や方法が求められている。

 

そうした時代になっていることを、私は今回の件から痛いほどに感じてしまうのである。

 

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【1000字コラム】「普通」という恐怖

1000字コラム

 

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1・俺は久々に友人に会った

 

俺が待ちを歩ているときだった、急に後ろから懐かしい声が聞こえてきた。

 

振り返ると小学校から高校まで同じだった友人で、たまに遊ぶことがあった。

 

進学先の大学は違っていたこともあり、成人してからはまったく合っていなかったが、

 

よく俺の後ろ姿でわかったなと思ったが、つい懐かしくて握手してしまった。

 

友人は少し腹が出ていて、目じりにもシワが見え始めていた。

 

10年前のような元気な感じは見られず、すでに若さのすべてを何かに吸い取られてしまったように見えた。

 

2・とりあえず、俺たちは近くの喫茶店に入ることにした

 

つい懐かしくなった俺たちは、近くの喫茶店でコーヒーを飲むことになった。

 

店内は昼の時間帯ということもあり、大学生が多かった。

 

中には営業や仕事の休憩として使っているサラリーマンの姿も見えた。

 

友人は俺に今日は休日か、と聞いてきた。

 

俺は今は自営業だから仕事でも普段着だ、とだけ伝えた。

 

友人は俺の話に興味を持ったのか、どんな仕事をしているのか聞いてきた。

 

俺は自分でライターなんて答えるのが恥ずかしいこともあり、

 

たいがいは執筆業と伝えることが多い。

 

友人はすごいな、とだけ言って自分のコーヒーに手を付けた。

 

彼の口に水分が含まれると、淀みなく仕事の不満が出てきた。

 

給料が上がらないや上司がいうことを聞かない、精神論しか言わない、

 

クレーマーの処理に追われると、仕事に関しては

 

何もいいことを言わなかった。

 

俺はだったら辞めればいいじゃないかと、と言った。

 

しかし、彼は今の生活をとりあえず手放したくはないようで、

 

転職や仕事を辞めるという発想はなかったようである。

 

彼は俺に対して何かいい仕事はないか、と言ってきたが

 

別に俺は人材派遣をしているわけでもないので、

 

何か仕事先を知っているわけではなかった。

 

俺は正直に今のところは知らない、とだけ答えた。

 

3・友人は花を摘み取られたようにしぼんでしまった

 

俺は彼の力になれないことを残念に思ったが、

 

それ以上に自分の生きている時代の不安定さに

 

背中をなぞられたような気分になった。

 

自分だって生活に余裕があるわけではない。

 

しかし、彼と俺で違うのは、生活に臨むものや

 

環境なのだろうと思った。

 

彼が今の環境で何とかしようとするからこそ、

 

ジリ貧になっているのだと感じてしまった。

 

だが、いろいろな職場を見ていると、

 

どの仕事場も実はジリ貧になっていて、

 

それが年老いた友人を生み出しているのだとすれば、

 

それはとても恐ろしいことだと俺は思った。

 

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【1000字コラム】人を浄化するのは人

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1.私はその日、スピリットダンスを経験した

 

本当は今日は文章教室をする予定だったのだが、

 

クライアントさんが急用ということで教室を開催することが

 

できなくなってしまった。

 

電話越しにその日の仕事は終わるかなと思っていたが、

 

そのクライアントさんは

 

「教室はできないけれど、今から僕が行くスピリットダンスに行ってみませんか?」

 

と、提案をしてくれた。

 

そのスピリットダンスを主催している人のことは知っていたし、

 

企画の名前に自然と惹かれるものがあった。

 

私は特に内容なども確認せず、クライアントさんの

 

申し出に二つ返事をした。

 

1時間後ぐらいにクライアントさんに迎えに来てもらい、

 

私たちはスピリットダンスが開かれる公民館に向かった。

 

公民館の中には筒状のスピーカーが部屋の四方に置かれていた。

 

そこから洋楽やクラシックの曲が流れており、まるで神経を

 

自然と撫でられるような気分がした。

 

主催の人からは「とにかく音を聞いて、動きたいように動いてください」

 

とだけ言わた後、スピリットダンスがはじまった。

 

参加者は主催者が音に合わせた自然な動きを見ることなく、

 

目をつぶって自分が聞いた音を頼りに、自然と手足を動かしていた。

 

私も目をつぶって音に身を任せていると、

 

不思議と手や足は動いてくれた。

 

参加者と同じ動きをしているわけではないのに、

 

その空間で一緒に踊る人たちとの不思議な一体感があった。

 

私は言いようのない心地よさに包まれ、

 

心の重石をちょっとだけだが動かせた気がした。

 

2.終わった後、私はクライアントさんに駅まで送ってもらった

 

スピリットダンスに誘ってもらったお礼を言ってから、

 

私はクライアントさんに手を振って別れを告げた。

 

その後、私は急に友人に会ってメシをしたくなった。

 

理由はわからない。

 

だが、無償に誰かに会って一緒にメシを食べたかった。

 

私は夜の22時以降でもメシを喰えそうな友達に電話をして、

 

一緒にメシを食べることになった。

 

3.人を浄化するのは人だけである

 

友人とメシを食べていて思ったが、

 

私はいつの間にか普段から抱いていた

 

不満を自然と口にしていた。

 

基本的には悪口やネガティブなことは言わないが、

 

思わず私は自分の毒を吐きまくっていた。

 

「今日はきついですね」なんて言われて、

 

私はそいつの顔を見ながらつい笑ってしまった。

 

久々に馬鹿笑いをしながら、友人の近況なども

 

話していると夜の1時を超えていた。

 

ダンスが私に何らかの変化を与えたのかどうかはわからない。

 

友人に至っては、ただ馬鹿笑いをしたに過ぎない。

 

だが、そんな細やかな事象が私にとって大事で、

 

やさぐれた心を浄化さえるのだと確信させてくれた。

 

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【1000字コラム】ドリーの悪夢

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1.人の「性質」までは変えられない

 

私は俗に言いバブル期に幼少を過ごし、

 

つつましい家庭で生まれ育った。

 

ただ生きた地域が少し田舎で、

 

何もない場所で、

 

人が身を寄せ合わせなければ

 

生きづらい地域だっただけである。

 

それ以外には概ね不満は別になかったし、

 

今の時代でよく言われる毒親やモンスターペアレント的な

 

親ではなかったと私は思っている。

 

どんな親に育てられたというのは非常に

 

重要なファクターになってくるとは思うが、

 

それが人生のすべてになるとは到底思えない。

 

その親によってどれだけ閉鎖的な世界を

 

提供されてしまったかどうかによって

 

人の性格には大きな影響を与えるだろうが、

 

人が本来持つ「性質」まで変えるには至らないだろう。

 

2.人の経験は人のものである

 

今では育児の方法や子どもの育て方がわからない人が多いようで、

 

不幸な子どもが増えているというニュースや記事を見かけることがある。

 

確かに、どう考えても子どもの人権が蹂躙されており、生命の危機や

 

今後の社会生活に大きな影響を及ぼす育児や教育がされていることは、

 

やはり私でも感じてしまう。

 

しかし、あまりに外野が他者の教育に口を出す権利が

 

どこまであるのだろうかというのも、同時に

 

思ってしまう訳である。

 

どれだけ自分が正しいと思っている価値観であったとしても、

 

それが他者にとってはまったく了見違いのものであることは

 

多々あることである。

 

日本国内で考えても、兄弟がいることを羨む人と

 

忌み嫌う人がいるのと同じで、環境や境遇が変われば

 

そこに対する意見もまったく変わるわけである。

 

ならば、単純に子どもの人数が一体何人がいいのかなんて、

 

誰に決定することができるのだろうかという問題である。

 

もちろん、経済的な理由をはじめ外因的なものはたくさんあるが、

 

その解答を見つけるのは結局自分自身と、どれだけ

 

その答えを見つけるまでに自分が動けるのかと私は思ったりする。

 

3.情報は移動してこそ価値があり、磨かれる

 

 

 

村上龍の言葉に

 

「移動こそ価値がある」

 

というものがある。

 

遺伝子レベルで考えても、世代を

 

超えるということはそれだけ

 

遺伝子という情報が未来へ移動することになる。

 

時代ごとに合う情報や活用法があり、

 

時代ごとの生き方や価値観がある。

 

だから、過去の人間が未来の人間に対して

 

助言をすることや築き上げたベースを渡すことはできるが、

 

それを使用するもしないも移動者が決めることである。

 

人は1人で生まれて、1人で死んでいく宿命にある。

 

しかし、今の私たちはその生きる権利も死んでいく権利さえ、

 

誰かの手に委ねて楽をしようとしているように見えることがある。

 

私たちに眠る性質や遺伝子はわかることがない。

 

わからないまま選択肢ばかりが増えていく中で、

 

一定のレールに乗ることを強いられている。

 

だからこそ、現代人は今の社会に息苦しさを

 

覚えているのかもしれない。

 

もし、自分が持つ性質や遺伝子がわからないならば、

 

自分の足で環境をごっそりと変えてしまい、

 

その中でも自立を保てるだけの「性質」にピンとくる

 

体験をせざるを得ない時代になっているのかもしれないと、

 

私は思ってしまうわけである。

 

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【1000字コラム】群れることの無意味さ

1000字コラム

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1・群れるのが嫌いである

 

先日、私はとある人の元へ営業に行っていた。

 

その人は地方都市では珍しく、群れることに

 

抵抗を覚えている人だった。

 

私は職業柄ということもあるし、本質的に

 

群れることが嫌いな人間なので、営業の話

 

そっちのけで一匹狼談議に花が咲く形となった。

 

別に一匹狼賛歌を歌うつもりはない。

 

しかし、私は今の時代に派閥や何かの組織に

 

属しているということが、一体何の価値を

 

生み出すのかというのがよくわからないのである。

 

2・チームは必要だけど、同じ思想を共有するだけの仲間はいらない

 

日本は100年以上の老舗が数多く存在する

 

社会として、世界の中では割と長寿会社が

 

多く残る社会として知られている。

 

しかし、その実は身内経営や自分の顧客を

 

守ると言った、ネガティブというか

 

後ろ向きなというか「その地元の輪」の中で

 

残ってきた老舗店というほうが数多く残っている感がある。

 

では、現代においてこうした老舗店が残っていることに

 

価値があるかと言えば、私の場合はあまり

 

価値は残っておらず、そのシステムのほとんどが

 

形骸化した「文化財」として国の庇護を受けているのが

 

大半なのではないかと思ってしまうわけである。

 

別に私としては、過去の偉業や今で粛々と語り継がれてきた

 

文化財を全否定するつもりはない。

 

その技術を受け継ぐことで歴史や文化が守られるのだから、

 

当然すべきことではあると思う。

 

ただ、それが「庇護」や「守る」だけの対象でいいのだろうか、

 

という部分が大事な訳である。

 

3・攻める時代を迎えた日本

 

今ではあらゆるサービスや商品が瞬時にやりとりされる時代となり、

 

その規模や市場範囲は日本だけではなくて世界を見据える

 

必要性に迫られている。

 

私が東京に向かったときは、その外人の数に

 

ただ圧倒されてしまうばかりだった。

 

そんな時代に、日本の文化や財産を日本だけで守っていくことに

 

意味があるのだろうか。

 

私はそこに対して、あまり意味がないと感じざるを得ないのである。

 

その文化財が日本人にとっては当たり前過ぎてどうでもいいものでも、

 

その文化に触れたことがない外国人には真新しいものだったりするのである。

 

ならば、ただ守るだけでなく「知ってもらう」チャンスや

 

売り出す環境はもっと作るべきなのではないだろうか。

 

どうしても、私はそう思わざるを得ないのである。

 

4・日本が刀を再び握るのはいつになる

 

私のこうした意見に対して、とある知人は

 

「日本は無理にグローバルになる必要はないよ」

 

という意見も聞いたことがある。

 

それは歴史が証明しているように、日本は

 

過去に100年あまり鎖国を成功させている。

 

自国だけでも成立できる環境や自然が、

 

確かにあるのはあるわけである。

 

しかし、現代でそれをしてしまうと、

 

あらゆる技術を手放すことになるのではないかという

 

危惧も、同時に頭をよぎってしまう訳である。

 

私としても今以上の技術革新が果たして必要かと言われると、

 

正直いらないとは思ってしまう。

 

しかし、わざわざ時代を逆行する道を取るぐらいならば、

 

日本の文化を「守る」対象から「攻める」武器へと

 

変えていく英断は必要なのではないかと、素人ながら私などは思っている。

 

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【1000字コラム】「耐えられない存在の軽さ」というタイトル

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1・印象に残るセリフ

 

有名な映画に「耐えられない存在の軽さ」というものがある。

 

こちらは原作が存在する映画になっているが、あまり映画の

 

内容は覚えていない。

 

しかし、印象的なセリフがある。

 

不倫関係にある男性に対して女性が

 

「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」

 

というセリフは非常に印象的である。

 

本当はただの不倫関係だけでなく、

 

当時の冷戦などの状況を踏まえた映画になっており、

 

このような事情をより深く理解していると

 

面白い映画になっているのではないかと思います。

 

2・自己主張すればするほど薄まる

 

「耐えられない存在の軽さ」の中に登場する、

 

私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」という

 

台詞であるが、なぜこんなにも台詞だけが心に残っているのか。

 

それは、現代の自分の存在を誇示することに必死な

 

姿を見ているからのように僕は感じてしまう。

 

今では自分から情報や感情を発信するのが当たり前の時代になっており、

 

そうした発信力がないと生き残れない風潮がある。

 

それは事実かもしれないが、1億弱の人口が発信する

 

読まれない呟きや投稿も発生しており、いわば形のない

 

ゴミがネットの海には漂っていることになる。

 

これらは誰かにとっては救いになったり、

 

なんらかのアイデアの元になる可能性はあるが、

 

ゴミの数があり過ぎて砂の中からビーズを探すかのような

 

徒労を覚えることがある。

 

3・発信=自傷行為

 

これだけ情報がたくさんあるということは、

 

自分がどれだけ熱意を持った意見をネット上で

 

投げかけてみたとしても、それは誰かにとっては

 

ごみでしかない可能性が大きい訳である。

 

そう考えれば、僕がはじめに言った

 

「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」

 

という言葉が、より切ないものに感じてしまう。

 

自分という存在がより多角的に見られる時代になったからこそ、

 

より自分の人生が軽いもののように感じられ、

 

その存在を強調するためにまた誰にも見られない投稿や

 

呟きをネットの海に落としてしまう。

 

その行為が、自傷行為になっている可能性があるにも関わらず……。

 

4・精神をすり減らす前に

 

別に意見を投げかけるのが悪い、というつもりはない。

 

ただ、僕としてはそこまで躍起になってネットの海に

 

情報を投げかけることが、自分の人生や命を削ってまで

 

やるべき行為なのかということである。

 

最近ではSNSの投稿やネット記事に過剰反応することで精神をすり減らし、

 

精神を病んでしまう人も数多くみている。

 

自己主張は大事だと思うが、その行為がより

 

自分の存在を否定したり薄くしていることがあることは

 

意識すべきなのではないかと思ったりする。

 

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