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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】仕事なんて地味でいい

1000字コラム

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取材をしていて思うのだが、仕事なんてのは生活するためにあるのだとほとほと思う。

 

こんな妙ちくりんな仕事をしている人間が言っても説得力などないかもしれないが、それでもこれは厳然たる事実で変えようのない現実だと思うのだ。

 

だから、よく言われる「自己実現」や「楽ができるから」とか、よくわからない「幸せ」と言った大義名分で仕事をする意味がよくわからないのである。

 

じゃあ私が今の仕事をしている理由と聞かれれば、それは生活の他に理由はない。よく「夢叶えたんですね」のようなことを言ってくださる方もいるが、それはあまり本質を捉えたものではないと感じる。残念なくらいに、自分には書くこと以外で収入を得る想像ができなかったから、その仕事をしているにすぎない。

 

仕事を決める際、みんなはどのように決めているのだろうか。

 

私の場合は学生時代にリーマンショックがあっただけでなく、言わば「ゆとり世代」と大人たちがいう教育によって、「バブル期」と次の時代の中継ぎのような世代として育てられた。時代が大きく移っていく中で、大人たちもこれからどうしていいかわからなかったのが、そのまま形になった世代でもある。

 

もちろんすべての子供がダメというわけではもちろんなく、きちんと仕事を見つけて働いている人も多くいる。問題なのは「失敗」を認めたくないために「ゆとり」なんて括って報道することだ。これではしっかり働いている同世代に申し訳ないし、大人たちは罪悪感を抱かないのかと疑ってしまう。

 

とにかくそんな世代の人間で、その環境で私が考えたのは「何をしようか」よりも「どうやって生きていこうか」ということである。バダバタと仕事先が無くなる中で、どうすればインチキのような教育を受けた自分が生き残れるのか。この一点ばかり考えていた気がする。

 

私の受けていた教育では、受け皿の職場が一定の雇用数を確保できることが前提としてあったと思う。しかし、それができないのに「とりあえず大学」なんて言われて進学し、その言葉を鵜呑みにしていた自分は反省すべきだと今でも思っている。

 

だから、今さらバブル期や団塊の世代を責めるつもりはない。

 

彼らに謝罪や責任を求めて解決するのであれば、すでにこの世は何らかの変化を見せているはずだ。それがないのであれば、そんな無駄なことはするべきではないだろう。怨みがないと言えば嘘になるが、それでもすべきでないのは、先代をただ恨むと共に「夢」だけを語ることだろう。

 

「夢」とは現実にないものである。しかし、人に強い希望を抱かせるものだ。夢や希望は必要だと思う。問題なのは、その夢を叶えることに囚われて、生活が成り立たないことである。

 

例えば、自分よりも上の世代をひがむばかりの仲間だけを集め、仲間だけで新しい「夢」のある事業を始めたとする。それ自体はいいことかもしれないが、果たしてそれは誰かの「夢」になるのだろうか。

 

私が思う「仕事」をしている人は、別の誰かに希望や夢を与えているように見える。それが私の「仕事」に関して大きく抱くイメージで、そんな仕事ほど地味で、生活に根付いている。

 

現代では本当にさまざまなサービスが生まれていて、何でも仕事にしようと思えばできる。だが、その仕事をしようと思うとき、それが自分の肥やしを増やすだけのものなら、おそらく誰も付いてこないだろうし、ファッションとして扱われて終わるだろう。

 

「書く仕事」は減ったとしても「想いに輪郭を与える」ことに終わりはないだろう。

 

今では自動手記や音声入力の技術が発達しているが、それによって自分の立場が脅かされるとは思っていない。それは別に今の仕事にプライドがないというわけでなく、むしろ「胸に詰まる想い」を形にすることが、自分の仕事だと思っているからである。ただ書くだけならは誰にだってできるだろう、しかし私がしているのは、思いを伝えるための「フォーム」作りである。こうした本質に触れられるかどうかが、仕事を選ぶ際に一番大事なのではないかと私は思ったりする。

 

個人だろうと勤め人であろうと、仕事を決める際には色々な理由や思いがあるだろう。しかし、その前に自分が今できることと本質を掴むこと、その仕事で将来どういう生活をしたいかを考えるほうが、世界平和や幸せよりも大事ではないかと思ったりする。私ならば、そうした部分を元に仕事を選びたい。

 

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【1000字コラム】平等を説く際に陥る逆説

1000字コラム

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闘うことを望む自分

 

最近の自分の中で大きな変化と言えば、別に闘うことを否定しなくなってきているところだと思う。色々な環境による変化や元々の田舎っぽさの再発なのかわからない。

 

ただ、協調とか助け合いというのが、今では「引っ張り合い」にしか聞こえないことが多く、それに対するアレルギー反応かもしれない。だが、世に言うクレームや抗議運動に矛盾を感じざる得ない自分がいて、その行動に辟易とする自分がいる。

 

「平等」を謳うことの矛盾

 

blogos.com

 

 よく「女性にも権利を」や「貧困で身動きできない人にも生活を」という活動を見かける。ほかにも心のケアやカウンセリング、東京で見かけて驚いたのは、人通りの多い新宿駅前で平然と宗教活動する人が多くなっていたことである。別にこれらの活動自体を否定するつもりはないが、私はその活動に共感はできないだろうし、将来それらの活動が日本を変えることもないだとうということである。

 

行動することは悪いことではない。何もせずにただ持論を並べるだけよりは健全かもしれない。しかし、その健全性が正しいというわけでもない。これらの権利を主張する人たちの言葉を聞いていると、基本的には「~と同じに」という言葉を聞く。しかし、これには個人的に矛盾を感じる。

 

たとえば、女性の権利を主張する際に「男性と同じ職場環境を」というものを訴えていたとしよう。しかし、女性には女性にしかできないこと、男性には男性にしかできないことがある。この2つが一緒になることは生物学的にはなく、この違いを元にルールを敷いたり、日々の生活を送っていると思う。

 

もちろん、現代のルールが完璧だとは思わない。これだけ女性が社会に出ているにも関わらず男性主体のルールだし、男が稼げない時代なのに社会はまだ男性社員を求める傾向にある。これらについては言葉を投げていいと思うが、ただ「男性と同じ権利を」というのは、あまりに現実を見ていない意見だと感じてしまう。

 

 否定ではなくて「現実を見る」力が必要

 

別に自分が男であることや女であることを嘆く必要はないし、別の国籍を羨やむ必要はない。問題なのは、結局のところ現実を見ずにさまざまなことを述べるところにあるのだと思う。実のところ、私も完全に「貧困」なるのを体験しているわけではないだろうし、知っているわけでもない。だが、一般的な生活を送っているとされる人から見れば貧困かもしれない。とどのつまり、その「貧困」さえ定義があいまいで、誰も本当の貧困なんて知らないのだと私は思っている。

 

これは男女の性差別でも同じで、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」や「チョコレート・ドーナッツ」、「ブローバック・マウンテン」を作れるほど性差別問題を経験していないし、その現実さえ知らない。国が違うので同列で語ることは難しいが、自分たちは何も知らないという事実は変わらないと思う。

 

ここで勘違いしてはいけないのは、別にそうした現実に触れたからと言って、その現実を知っているとは違うということである。こうした現実に触れただけで知ったつもりになったのであれば、それは練習しか経験したことのない国体選手と同じということだと思う。

 

本当に何かを「知る」ということは、そんなに簡単なことではない。だからこそ色々な人がいて当然だと思うし、その1人1人と仲良くする必要なんてない。時にはコブシを交えるほどの付き合いがないと、その人のことなど本当に理解したなんて言えないのではないだろうか。

 

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【行ってみた】サイバーコネクトツーにいる松山さんに会いに行った話

エッセイ・随筆

普通にサイバーコネクトツーで遊んでしまった

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年末も暮れに暮れた時期、東京事務所の「サイバーコネクトツー」にいる松山洋さんに会いに行きました。

 

私がパーソナリティをしているインターネットラジオへの出演をきっかけに、今回の訪問が実現したという感じです。

 

ゲーム好きのライターがゲーム会社を訪問してはしゃいだ様子や、ゲーム開発に携わりたい人におくる備忘録。 

 

サイバーコネクトツーに行きました 

 

ラジオでの共演をきっかけに

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honmaru-radio.com

 

 

愛媛発のインターネットラジオにて、パーソナリティをしていた私。ひょんなことから「サイバーコネクトツー」の松山洋さんに出演いただき、ラジオを取ることとなりました。

 

そんなこんなで面識ができ、厚かましくも「東京で会えますか?」と打診すると、「OKです」という返信をいただけることに。

 

で、早速東京にできた「サイバーコネクトツー」に行ってきました。

 

そもそも、「サイバーコネクトツー」とは?

www.cc2.co.jp

 

サイバーコネクトツー」は設立から20周年を2016年で迎え、本社は福岡県。カナダのモントリオールにも新しくスタジオができるとのこと。

 

サイバーコネクトツーといえば「ナルティメットストーム」シリーズや「.hack」シリーズで有名。僕は松山さんも開発に関わっていた「サイレントボマー」という作品も知っており、会社のディスプレイにも並んでいました。

 

しがないライターにもお出迎えを 

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さっそくサイバーコネクトツーを訪問すると会議室に通されて、そこには私の名前と共に「ようこそ」というお出迎えが。しばらく待っていると、ドアが開くと同時に「ひさしぶり」と元気な挨拶と共に松山さんが入ってくる。

 

簡単な挨拶をした後に会社の説明をしていただいたのだが、会社でも挨拶を大事にしているとのこと。 職場見学をさせていただいたときも、部屋に人が入るだけで社員の方々は一斉に立ち上がり挨拶をしてくださる。

 

松山さんは番組などされているので見ている人はご存知だと思うが、とにかく熱い人である。

 

www.youtube.com

 

そういう熱い人だからこそ、ラジオで少しだけ会った私にもこうして時間を割いてくれるし、 会社にも活気があるのだと感じた。

 

ゲーム会社も人材不足なそうです

 

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会議室にはナルトのゲームだけでなく、フランスの方で作ってもらったナルトのフィギュアが展示されていた。魅力的なゲームを作っているからこそ海外でも愛されているのがわかるが、ゲーム作りにおいて無理は仕事スケジュールはさせないとのこと。

 

 

あくまでクオリティを追求するため、無理な仕事を強いることしないというのは、かなり納得のいく考え方。でもその反面、ゲーム業界もなかなかの人材不足で悩んでいると松山さんは語っていました。

 

 

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会社説明の中でもインターンの話は出てきたし、ゲーム開発における大事なことを講演していることも出てきました。

 

 

そもそも愛媛にやってきたのも、全国のプログラミング関係の学校を歩いて講演するためだったから。その中でもゲーム開発に必要なものや、気持ちの上で掲げるべきことを話していたそうです。

 

 

僕が訪問したときでも、ゲーム会社に就職したい人たちは多くのギャップを抱えていると考えており、ミスマッチが多く発生しているという。それを払拭するためのインターンだし、講演を全国回ってでも行うことが重要だと話していました。

 

 

そもそもゲーム会社に就職できる人は少数で、倍率にすると50倍なんてザラとか……。でもよく考えると、多くの人に手に取ってもらうゲーム開発が簡単にできるという発想のほうが、間違っているのかもしれません。

 

 

そのギャップを埋めるためにも、サイバーコネクトツーではインターンをして人を育てるしかないと考えているとのことです。

 

ファンと共にあるゲーム

 

サイバーコネクトツー」の歴史

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ロビーで記念撮影を終えた後、松山さんは仕事のため退席。その後は広報を担当する方に案内をしていただくことに。

 

 

会社ロビーにはサイバーコネクトツーが生み出してきたゲームが展示されています。やっていないゲームには「テイルコンチェルト」などがあったが、それ以外は基本触っていたことに自分がちょっと驚きました。

 

 

反対を言えば、一度は手に取ってしまう魅力的なゲームを輩出しているのがわかります。正直な話、ラジオでの対談や来訪してはじめてサイバーコネクトツー製のゲームだったのを知ったものもありました。

 

youtu.be

 

次回作もすでに調整段階で、いよいよリリースまじかとのことです。

(あまり書くとステマと言われかねないのでここまで笑)

 

 

でも2003年に出た「ナルティメット」シリーズも気が付けば2017年まで続いていると考えると、本当に愛されているなぁとは思います。僕が中学のときから続いている訳なので、そりゃ自分も年を取るわけです。

 

ロビーには一般ユーザーが遊べる場所も 

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 ロビーには一般ユーザーでも楽しめる場所が設けられており、会社訪問の記念に押せるスタンプもあったりします。これは東京と福岡で違っているので、新しくできるモントリオールでも違うものになるのでしょうか。

 

 

あと、ロビーにはノートもあって誰でもメモできたり、ガシャポンも用意してあります。ロビーまでなら誰でも立ち寄れるので、ガシャポンを回しに行くだけでもいいかもしれませんね。

 

1人のユーザーとして楽しんだ

 

とりあえず、サイバーコネクトツーでの体験談はここまで。自分がプレイしていたゲームの開発環境に飛び込めたのは、非常に貴重な経験でした。

 

 

今の時代に10年以上もゲームシリーズが続いているのは珍しいと思いますし、その裏側にはこだわりがあるのも見えてきました。

 

 

でも、現場には人がいないのも現状なようですので、この記事を読んだ人が1人でもゲーム開発を志していただけると個人的にはうれしいかなと思います。

 

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【1000字コラム】情報のインプットとアウトプットにおける人と機械の差異・1

1000字コラム

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http://rocketnews24.com/2015/07/02/603628/

 

1.機械に奪われる人の仕事

 

現代では数々の仕事が機械に奪われ、そのうち人のやる仕事は無くなる。

 

これは科学者や学者がよく言っていることで、SF小説や映画でも提唱されることである。

 

これに加えて人工知能の発達により、さらに機械は人に近づいたことになる。

 

機械化の波に人は悲観的になり、次第に仕事が無くなると明日のわが身を呪ってしまいそうになる。

 

しかし、私としてはアンドロイドや機械にすべての作業を任せるようにならない限り、

 

まだまだ機械に作業をインプットする側の私たちにできることはあると感じる。

 

それに、人間が動物との違いを見出してきたように、

 

人工知能を含んだ機械が人間との違いを生み出すには

 

エクス・マキナ」ぐらいの技術力が必要になってくるだろう。

 

2.映画「エクス・マキア」とは

 

エクス・マキナ」とは2015年に公開されたイギリスの映画である。

 

特殊な検索エンジンを作る会社の社長が、その検索エンジン

 

さらに発展させた人工知能を持つアンドロイド「エヴァ」を作り上げる。

 

そのアンドロイドの思考実験をするため、検索エンジン会社に努める男性社員と

 

エヴァの会話が繰り広げられるのが本筋となる。

 

その中で人間とアンドロイドの思考ゲームがはじまるのだが、

 

人工知能の人間との謀略の様子はまさに、

 

人間の生き残ろうとする行動と何ら変わらなかった。

 

3.人も元をたどれば自然の中の「機械」である

 

劇中では人間の定義するところが語られるシーンもあったりするが、

 

その過程では呼吸することや恋愛をすること、心臓を動かすことなど

 

人間の根源的な生きることについてはすべて「プログラム」であると語られる。

 

そもそも人は機械的であり、実は人間が機械的だからこそ

 

アンドロイドを生み出しているのではないかという暗示さえある。

 

私もこれは思うところがあり、人は結局プログラム通りに

 

動いているのではないかと思うことさえある。

 

人が子孫を残そうとするのは動物的なプログラムで言えば当然であり、

 

それに抗うことのほうが実は苦痛なのではないだろうか。

 

もちろん、人によって差異は出てくるだろうが、これは

 

厳然たる事実として受け止め化ければいけないのだろう。

 

4.「コンフリクト」こそ人の力

 

人間が人間たる力とは何だろうか。

 

私が思うのは「悩む力」だと思っている。

 

人は悩むからこそ考えるし、

 

自分に置かれている状況を打破しようとする。

 

人は悩んだ末、自分のコピーであるアンドロイドを生み出した。

 

その結果が機械化であり、自分たちのコピーを生み出したために

 

自分たちの仕事が無くなっていくのも当然の帰結であるように思う。

 

私たちがコピーに勝つ方法、それは

 

やはり「悩む」という不合理で、機械ならば

 

絶対に取らない行動なのではないだろうか。

 

人間的成長を捨てない限り、私はまだ

 

人間の社会に絶望するには早いと感じる。

 

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【1000字コラム】「WELQ」をはじめとするまとめサイト記事の問題は今にはじまったことではない

1000字コラム

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1.「WELQ」問題なんて氷山の一角

 

headlines.yahoo.co.jp

 

今、「WELQ」をはじめとするキュレーションサイトにおける記事の是正について話題が飛び交っている。

 

これはライターにとって死活問題のように見えるが、それはそのサイトで稼いでいる人に限ったところであると私などは思っている。

 

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たしかに、案件としては多数存在しているかもしれない。

 

私も以前は執筆していたことがあるが、その無意味さをブログにしたことがある。

 

元来、キュレーションサイトの記事なんて本業ライターはお小遣いをちょっと稼ぐときぐらいにしか執筆していないかと思うし、私も現在はキーワード先行の記事は執筆していない。

 

実際、1文字1円以下で書かされている現実はあるだろうし、そのような案件をたくさん見てきた。

 

だが、本業ライターならばそのような案件がどれだけ意味がないものと判断し、すぐに手を引いているのではないかと思ったりする。

 

情報とはネットで語られるものではなく、終着点でしかないからである。

 

2.あるサイトを運営するセミナーでの一幕

 

私は東京で、とあるライター向けの無料セミナーに参加したことがある。

 

そこではメディアライターとしての文章の書き方について語っており、基本的にはネットで検索した情報を元に文章を書く講座内容になっていた。

 

私は「無料なりの内容だな」と思いながら講習を受けていたが、その中で1人の受講者が「ネットの情報にある数値や方法が事実だと確認するためには?」という質問を投げていた。

 

それは私も常に感じているところなのだが、質問を受けた運営側は少し答えに詰まっていた。

 

やっと出た答えというのが「検索して同じ情報が多ければ、それを信用する」という感じだった。

 

だが、ネットでは悪貨が良質を駆逐するごとく、コピーされた情報によって本物の情報が見え隠れすることは多々あると私は思ったりする。

 

3.洋画ではすでに語られた問題

 

こうした情報の問題は、新聞ではあるが「ニュースの天才」ではすでに描かれた問題である。

 

大手メディアから発信される情報ならば真実であるという刷り込みにより、誰もが大手メディアで書かれた記事については疑うことがなかった。

 

しかし、その思い込みによりある記者がゴシップだらけの記事を大手新聞に載せてしまう実際の事件を映画したのが「ニュースの天才」である。

 

映画や今回の「WELQ」において、問題を起こした側が糾弾されるのは仕方ないと思う。

 

しかし、受け手である私たちが情報に対する感度が低く、それを精査する術が無かったことも事実だったのではないかと思ってしまうのである。

 

新聞にしろネット上にしろ、それは情報を得る場所でしかない。

 

だから、そこにあるからと言って絶対に正しい情報が載っているわけではないことを、やはりこうした情報送受信時代には、もっと自覚すべきなのではないかと思わざるを得ない。

 

もちろん、書き手として正しい情報をわかりやすく伝える義務はあるのだが、そこに対して受け手からはむしろ疑ってほしいぐらいである。

 

そうした目があることで、書き手や情報発信者はいい意味で緊張を覚えられるのではないかと私は思ってしまうのである。

 

それは揚げ足取りをするためではなく、悪貨が良質を駆逐するのとは逆の作用を期待したいからだ。

 

4.どのような情報ならば信頼できるのか

 

では、どのような情報ならば信用できるのかと言えば、やはり人の生の声に他ならない。

 

誰かの経験や体験したこと、情報をヒアリングしてまとめ直す。

 

これこそが書き手がやることであり、メディア本来が持つ意味なのではないかと思う。

 

だから、きちんと記事のことについて知っている業者は「情報」にお金を払う。

 

取材費、移動費、情報を得る時間……。

 

きちんとした記事を制作する会社は、これらの部分にお金を使う。

 

反対に、安く上げようとする会社ほど、これらの部分にお金を出さない。

 

私も仕事を受ける際は、この部分に注意して契約を結ぶことが多い。

 

何文字書いたからそれだけのお金を払うのではなく、

 

その情報がどれだけの価値があって、どれだけのお金を動かしたいのか。

 

それを考えるべきだと思ったりする。

 

5.若い人はネット記事やランキングを意識しない

 

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これも以前記事にしたが、最近の10代や20代前半はネット記事にそこまでの信頼を寄せていないらしい。

 

それはSEOの仕組みで作られた記事であることをしっており、その記事の信ぴょう性が薄いことを知っているからである。

 

だからといって別のサイトやSNSだけに事実があるとは言わないが、やはり情報を本当の意味で「編集」し、広く多くの人に伝える技術や方法が求められている。

 

そうした時代になっていることを、私は今回の件から痛いほどに感じてしまうのである。

 

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【1000字コラム】「普通」という恐怖

1000字コラム

 

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1・俺は久々に友人に会った

 

俺が待ちを歩ているときだった、急に後ろから懐かしい声が聞こえてきた。

 

振り返ると小学校から高校まで同じだった友人で、たまに遊ぶことがあった。

 

進学先の大学は違っていたこともあり、成人してからはまったく合っていなかったが、

 

よく俺の後ろ姿でわかったなと思ったが、つい懐かしくて握手してしまった。

 

友人は少し腹が出ていて、目じりにもシワが見え始めていた。

 

10年前のような元気な感じは見られず、すでに若さのすべてを何かに吸い取られてしまったように見えた。

 

2・とりあえず、俺たちは近くの喫茶店に入ることにした

 

つい懐かしくなった俺たちは、近くの喫茶店でコーヒーを飲むことになった。

 

店内は昼の時間帯ということもあり、大学生が多かった。

 

中には営業や仕事の休憩として使っているサラリーマンの姿も見えた。

 

友人は俺に今日は休日か、と聞いてきた。

 

俺は今は自営業だから仕事でも普段着だ、とだけ伝えた。

 

友人は俺の話に興味を持ったのか、どんな仕事をしているのか聞いてきた。

 

俺は自分でライターなんて答えるのが恥ずかしいこともあり、

 

たいがいは執筆業と伝えることが多い。

 

友人はすごいな、とだけ言って自分のコーヒーに手を付けた。

 

彼の口に水分が含まれると、淀みなく仕事の不満が出てきた。

 

給料が上がらないや上司がいうことを聞かない、精神論しか言わない、

 

クレーマーの処理に追われると、仕事に関しては

 

何もいいことを言わなかった。

 

俺はだったら辞めればいいじゃないかと、と言った。

 

しかし、彼は今の生活をとりあえず手放したくはないようで、

 

転職や仕事を辞めるという発想はなかったようである。

 

彼は俺に対して何かいい仕事はないか、と言ってきたが

 

別に俺は人材派遣をしているわけでもないので、

 

何か仕事先を知っているわけではなかった。

 

俺は正直に今のところは知らない、とだけ答えた。

 

3・友人は花を摘み取られたようにしぼんでしまった

 

俺は彼の力になれないことを残念に思ったが、

 

それ以上に自分の生きている時代の不安定さに

 

背中をなぞられたような気分になった。

 

自分だって生活に余裕があるわけではない。

 

しかし、彼と俺で違うのは、生活に臨むものや

 

環境なのだろうと思った。

 

彼が今の環境で何とかしようとするからこそ、

 

ジリ貧になっているのだと感じてしまった。

 

だが、いろいろな職場を見ていると、

 

どの仕事場も実はジリ貧になっていて、

 

それが年老いた友人を生み出しているのだとすれば、

 

それはとても恐ろしいことだと俺は思った。

 

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【1000字コラム】人を浄化するのは人

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1.私はその日、スピリットダンスを経験した

 

本当は今日は文章教室をする予定だったのだが、

 

クライアントさんが急用ということで教室を開催することが

 

できなくなってしまった。

 

電話越しにその日の仕事は終わるかなと思っていたが、

 

そのクライアントさんは

 

「教室はできないけれど、今から僕が行くスピリットダンスに行ってみませんか?」

 

と、提案をしてくれた。

 

そのスピリットダンスを主催している人のことは知っていたし、

 

企画の名前に自然と惹かれるものがあった。

 

私は特に内容なども確認せず、クライアントさんの

 

申し出に二つ返事をした。

 

1時間後ぐらいにクライアントさんに迎えに来てもらい、

 

私たちはスピリットダンスが開かれる公民館に向かった。

 

公民館の中には筒状のスピーカーが部屋の四方に置かれていた。

 

そこから洋楽やクラシックの曲が流れており、まるで神経を

 

自然と撫でられるような気分がした。

 

主催の人からは「とにかく音を聞いて、動きたいように動いてください」

 

とだけ言わた後、スピリットダンスがはじまった。

 

参加者は主催者が音に合わせた自然な動きを見ることなく、

 

目をつぶって自分が聞いた音を頼りに、自然と手足を動かしていた。

 

私も目をつぶって音に身を任せていると、

 

不思議と手や足は動いてくれた。

 

参加者と同じ動きをしているわけではないのに、

 

その空間で一緒に踊る人たちとの不思議な一体感があった。

 

私は言いようのない心地よさに包まれ、

 

心の重石をちょっとだけだが動かせた気がした。

 

2.終わった後、私はクライアントさんに駅まで送ってもらった

 

スピリットダンスに誘ってもらったお礼を言ってから、

 

私はクライアントさんに手を振って別れを告げた。

 

その後、私は急に友人に会ってメシをしたくなった。

 

理由はわからない。

 

だが、無償に誰かに会って一緒にメシを食べたかった。

 

私は夜の22時以降でもメシを喰えそうな友達に電話をして、

 

一緒にメシを食べることになった。

 

3.人を浄化するのは人だけである

 

友人とメシを食べていて思ったが、

 

私はいつの間にか普段から抱いていた

 

不満を自然と口にしていた。

 

基本的には悪口やネガティブなことは言わないが、

 

思わず私は自分の毒を吐きまくっていた。

 

「今日はきついですね」なんて言われて、

 

私はそいつの顔を見ながらつい笑ってしまった。

 

久々に馬鹿笑いをしながら、友人の近況なども

 

話していると夜の1時を超えていた。

 

ダンスが私に何らかの変化を与えたのかどうかはわからない。

 

友人に至っては、ただ馬鹿笑いをしたに過ぎない。

 

だが、そんな細やかな事象が私にとって大事で、

 

やさぐれた心を浄化さえるのだと確信させてくれた。

 

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