【1000字コラム】「WELQ」をはじめとするまとめサイト記事の問題は今にはじまったことではない
1.「WELQ」問題なんて氷山の一角
今、「WELQ」をはじめとするキュレーションサイトにおける記事の是正について話題が飛び交っている。
これはライターにとって死活問題のように見えるが、それはそのサイトで稼いでいる人に限ったところであると私などは思っている。
たしかに、案件としては多数存在しているかもしれない。
元来、キュレーションサイトの記事なんて本業ライターはお小遣いをちょっと稼ぐときぐらいにしか執筆していないかと思うし、私も現在はキーワード先行の記事は執筆していない。
実際、1文字1円以下で書かされている現実はあるだろうし、そのような案件をたくさん見てきた。
だが、本業ライターならばそのような案件がどれだけ意味がないものと判断し、すぐに手を引いているのではないかと思ったりする。
情報とはネットで語られるものではなく、終着点でしかないからである。
2.あるサイトを運営するセミナーでの一幕
私は東京で、とあるライター向けの無料セミナーに参加したことがある。
そこではメディアライターとしての文章の書き方について語っており、基本的にはネットで検索した情報を元に文章を書く講座内容になっていた。
私は「無料なりの内容だな」と思いながら講習を受けていたが、その中で1人の受講者が「ネットの情報にある数値や方法が事実だと確認するためには?」という質問を投げていた。
それは私も常に感じているところなのだが、質問を受けた運営側は少し答えに詰まっていた。
やっと出た答えというのが「検索して同じ情報が多ければ、それを信用する」という感じだった。
だが、ネットでは悪貨が良質を駆逐するごとく、コピーされた情報によって本物の情報が見え隠れすることは多々あると私は思ったりする。
3.洋画ではすでに語られた問題
こうした情報の問題は、新聞ではあるが「ニュースの天才」ではすでに描かれた問題である。
大手メディアから発信される情報ならば真実であるという刷り込みにより、誰もが大手メディアで書かれた記事については疑うことがなかった。
しかし、その思い込みによりある記者がゴシップだらけの記事を大手新聞に載せてしまう実際の事件を映画したのが「ニュースの天才」である。
映画や今回の「WELQ」において、問題を起こした側が糾弾されるのは仕方ないと思う。
しかし、受け手である私たちが情報に対する感度が低く、それを精査する術が無かったことも事実だったのではないかと思ってしまうのである。
新聞にしろネット上にしろ、それは情報を得る場所でしかない。
だから、そこにあるからと言って絶対に正しい情報が載っているわけではないことを、やはりこうした情報送受信時代には、もっと自覚すべきなのではないかと思わざるを得ない。
もちろん、書き手として正しい情報をわかりやすく伝える義務はあるのだが、そこに対して受け手からはむしろ疑ってほしいぐらいである。
そうした目があることで、書き手や情報発信者はいい意味で緊張を覚えられるのではないかと私は思ってしまうのである。
それは揚げ足取りをするためではなく、悪貨が良質を駆逐するのとは逆の作用を期待したいからだ。
4.どのような情報ならば信頼できるのか
では、どのような情報ならば信用できるのかと言えば、やはり人の生の声に他ならない。
誰かの経験や体験したこと、情報をヒアリングしてまとめ直す。
これこそが書き手がやることであり、メディア本来が持つ意味なのではないかと思う。
だから、きちんと記事のことについて知っている業者は「情報」にお金を払う。
取材費、移動費、情報を得る時間……。
きちんとした記事を制作する会社は、これらの部分にお金を使う。
反対に、安く上げようとする会社ほど、これらの部分にお金を出さない。
私も仕事を受ける際は、この部分に注意して契約を結ぶことが多い。
何文字書いたからそれだけのお金を払うのではなく、
その情報がどれだけの価値があって、どれだけのお金を動かしたいのか。
それを考えるべきだと思ったりする。
5.若い人はネット記事やランキングを意識しない
これも以前記事にしたが、最近の10代や20代前半はネット記事にそこまでの信頼を寄せていないらしい。
それはSEOの仕組みで作られた記事であることをしっており、その記事の信ぴょう性が薄いことを知っているからである。
だからといって別のサイトやSNSだけに事実があるとは言わないが、やはり情報を本当の意味で「編集」し、広く多くの人に伝える技術や方法が求められている。
そうした時代になっていることを、私は今回の件から痛いほどに感じてしまうのである。