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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

最近の若い人は「SEO対策」してある記事が嫌いらしい~ネット情報と広告の在り方~

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ども、不定期に更新しているリュウ・ライタです。不定期になっているのは、プライベートの兼ね合いもありますが、近々はてなプロへの変更も予定しているためです。
 
  • このブログ恒例となっている読者登録者様紹介ページも、せっかくならはてなプロにしてからがいいだろうなぁ。

 

  • 記事を大量に書くならはてなプロがいいだろうなぁ。
 
と、考えていると記事更新も少しあぐねいてしまう結果になっている次第です。
読者登録者様に関しては、3月中に1度は掲載するかもです。
 
でも、更新を控えてよかったこともある。
 
この記事にもあるように、私としてはネタも集まったと思うし、何よりネットデトックスができた気がする。ブログ外のことに注力して、広告のあり方やブログのスタンスについて一考できた気がする。
 
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戦々恐々の「グーグルは使わない」宣言

 
この記事には、なんとも現代のマーケット形式で稼いでいる人には恐ろしいことが書いているかと思う。SEO対策してある記事はリアルではない、とのことである。
 
「一昔前ならGoogleで検索して化粧品のランキングを見ていたが、いまは見ません。結果にウソが多いのも若い子は知っている。自分が使っている化粧品が良くなくても、(ネットの)評価がいいと『ウソだな』と思う。Instagramは個人がやっているからウソがない」——もちろんInstagramにだって広告は入っているわけだけれど、SEOの件も含めて、すごく核心をついた話に聞こえる。

http://jp.techcrunch.com/2016/03/03/istagram-genking/
 
引用にもあるように、この記事に書いてあることはわかる。僕も某通販サイトのレビューは信用しないし、ランキングも気にしない。基本は自分で使った感覚と見た印象を大事にする。それに、レビューやランキングに嘘があるのも職業柄知っている。
 
僕はそこまでインスタグラムを使っていない。でも、このインスタグラムの影響は多大で、主に中高生〜大学生の間でよく使われているのは、記事内にもある通り。知り合いのアフィリエイターの人も、広告をしっかり出しているようだが、果たしてうまく行っているのかどうかは定かではない。
 
僕としては、インスタグラムにはインスタグラムのやり方があるだけで、広告というのは恣意があって当然である。それを今までのやり方を当て込もうとするから歪になる。確かに、ネットのバナーは邪魔なだけで有用なものを見たイメージはない。
 
 
  • 「バナー広告がわずらわしい」「よい面だけを強調している広告」「同じ広告が何度も出てくる」が不満のトップ3、「スマートフォン上の広告は邪魔なものが多い」も8割
  • 「商品を売り込むだけの広告より内容が面白い・楽しい広告」が望まれる

    http://www.opt.ne.jp/news/pr/detail/id=2578

 

こちらの記事にもあるのだが、ネットに求められるのは速効性であったり、使い勝手のほうが求められている。今までのやり方のまま、インスタグラムで広告を貼っても若者に「ダサい」と判断するされるのは、このような時代の潮流が要因になっている。

 

 

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でも、結局は恣意的なものだよ広告って


ネットだろうとテレビだろうと、広告とは「自社や個人が作ったものを宣伝するもの」である。どんな形だろうと広告は「恣意的」なのである。始めのほうに取りあげた「グーグルは使わない」と宣伝している方も、ただインスタグラムにあった広告方法を見つけて儲けているだけである。「広告」という活動自体を否定しているわけではない。
 
 望ましいインターネット広告について、同感する(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」)人の比率をみると、「商品を売り込むだけの広告より内容が面白い・楽しい広告の方が良い」(74%)が4人に3人の割合で最も多い。  このほか、「広告は商品情報だけを詳しく示せばよい」(64%)、「少しでも安い商品を教えてくれる広告が良い」(64%)、「商品のことばかりでなく、流行や社会のことについて教えてくれる広告が良い」(63%)なども同感する人が多い。

http://www.opt.ne.jp/news/pr/detail/id=2578

 
 ネットの広告にきちんとした情報を求める声も多いし、それ以上に「広告がおもしろい」という声が大きい。これに関しては、インスタグラムがわからない人でもユーチューバーを想像すればわかりやすい気がする。
 
ユーチューバーの方々も、今まで広告の第一線で活動してきた人には度し難い存在かもしれま。しかし、今でも何十~百万回と再生されているユーチューバーもいる。下手な紙面広告よりも圧倒的に見られる。
ユーチューバーの人たちも、広告マンと同じく「広告費」なるものをもらって活動をしている。いわば会社の「商品」をいかに若い人や視聴者に売り込むのか必死に考えているのだ。この事実があっても若い人が「リアル」というのであれば、そこに対しては「NO」と強く突き返したい。それは、インスタグラムでも同じである。
 
 

広告という方法自体はこれからもなくならないでしょうし、広告媒体として重要な位置を占めてきたテレビやラジオ、、新聞、雑誌も引き続き形や役割を変えながら存在していくのではないかと考えています。

ただ、ここで重要な視点は、少なくとも、メディアの変化とテクノロジーの進化は、、確実に皆さんの行動を変えてているということです。スマートフォンソーシャルメディア、さらに、進化を続けているインターネット経由の広告テクノロジーにより、静的で一方向的なメディアであるテレビやラジオ、新聞、雑誌等に対する視聴者や読者の態度は確実に変わりつつあります。

https://medium.com/@takashihirai/-74b231941bca#.i2po9yxdl

 
 広告は無くならない。でも、形は変わっていく。今までの社会が会社単位の効率ばかり求めていたものから、どんどん個人化していくのは時代の流れだと思っている。先ほど挙げた「広告が変わってきている~」にもあるように、受け手の態度は大きく変化しているし、社会だって変わってきている。
 
今の若者にインスタグラムやユーチューバーの人たちが「リアル」に見えるのは、今生きている人たちにとって「ネット」という存在が大きく変わっているからだ。ネットで出会った人は、自分から簡単にコメントやメッセージを送れる。うまく行けば会うことだってできる。ネットで出会った人は、隣に住んでいるおじさんよりも「隣人」となっている。そんな時代なのである。
自分から「会いたい」や「しゃべりたい」人を選択することが可能となり、自分にとって魅力ある人が宣伝しているものなら買ってみてもいい。これが今の若者の「リアル」なんだと思う。
 
でも、この時点でネットに住む住人に「リアル」を感じてる人もはまっている訳である。「コメントしたい」や「会いたい」と思った時点で、ユーチューブにしろインスタグラムにしろ、そこにいるのはフリーランスな広告マンだ。ただ、今の若者にとっては「誰か作ったのかわからないもの」よりは「隣人が使ったことのあるもの」のほうが受け入れやすいのだろう。
しかし、雑誌だろうとなんだろうと「おもしろい」と思わせたのならば、人間はそこに対してお金をペイするものである。だから僕は、「おもしろい」や「有益」だと思えたものにはお金をペイすべきだと思うし、ただ「無料」なコンテンツを作るのではなくて「有料」なコンテンツを作ったほうがいいと思ったりはする。 


 今までの「マス」社会とこれからの「パーソナル」社会

 

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今までの広告はマス(全体的)なものを流していた。それは、日本社会が「大学入ってサラリーマンとなるホワイトカラーを増やす」ということで成り立つ社会だったから、そこに対して広告を打てば大半の人に意味のある広告と成っていた。いい意味で、広告と消費者が噛みあって循環している時代だったのが、日本の高度経済成長期からバブルが弾ける寸前の日本だったんだと思う。
 
しかし、今は個々人の生活体系がまったく違う人たちが多く、日本や会社がモデルとしている人たちに対して効果的に広告を打てなくなっている。いわゆる「サラリーマン」の全体数が減っていると共に力を失いつつある。だから、そのモデルに大量の広告を打つことに意味が出てこなくなっている。日本から徐々に「マス」が消えつつあるのだ。
もちろん、広告なので「マス」以外にターゲットを絞るのだが、どうしてもまだ「仮想ターゲット」として「マス」ばかり狙う傾向が抜けていない気がする。現代においてメディアに能動的にアクセスできるのだから、消えつつあるマスを狙うことに、僕としてはあまり意味を見出せない。
 
「マス」が自然と消えることで、パーソナルな時代に移行しつつある。それはスマホしかり、諸処のサービスを考えてみればわかっていただけるとかと思う。その結果、広告もユーチューブやインスタグラムの「個人」に対して働き掛けるほうが効率的なものになってきているのである。昔のように「今話題の~」とか「○○も使っている~」のような文言は、すでに効果を示さない。もちろん、恣意的過ぎる「つまらない」ものも受け入れられない。
 
このような時代に対して「個人主義が行き過ぎている」という意見がある。その通りだ。スマホばかり見て子どもをほったらかしにしている人を見ると、僕でさえ顔をしかめてしまう。
だがしかし、僕は今までのマス的な社会よりも、開かれたパーソナルな社会のほうを尊重したい。会社という組織があることで仕事の「効率化」や「安定した仕事」を運営できることにかんしては理解できる。しかし、それでも僕はパーソナルな時代に賭けてみたい。
 
個人的に「ライター」なんて仕事をしていることも「パーソナル」に傾倒する理由であるが、それ以上に「効率化」の結果として高齢化や少子化になっている現代の姿を見てしまうと、どうしてそのような社会を肯定できるのだろうか。
さらに言えば「とりあえず大学入って就職」という図式を生み出した挙句、何者にもなれない若者を生み出して「最近の若いやつは」とかいう人たちを肯定することだって、僕にはできないわけだ。
 
それに、僕個人としてもこのブログを使って動画・写真・文章を駆使して生の情報は届けやすい環境を作れる。少なくとも、ただ「これを流せば大丈夫」なんて胡坐を掻いている広告企業よりは社会貢献できるのではないだろうかと、ひそかなる野心ぐらいは抱いている。
たしかに広告主からすれば「ちゃんと宣伝して」となるだろうけれど、その前に有益なコンテンツであることや読んでいて「おもしろかった」を考えない限りは、ネット社会における広告は生き抜けないと考えているわけである。
 
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