【1000字コラム】「耐えられない存在の軽さ」というタイトル
1・印象に残るセリフ
有名な映画に「耐えられない存在の軽さ」というものがある。
こちらは原作が存在する映画になっているが、あまり映画の
内容は覚えていない。
しかし、印象的なセリフがある。
不倫関係にある男性に対して女性が
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」
というセリフは非常に印象的である。
本当はただの不倫関係だけでなく、
当時の冷戦などの状況を踏まえた映画になっており、
このような事情をより深く理解していると
面白い映画になっているのではないかと思います。
2・自己主張すればするほど薄まる
「耐えられない存在の軽さ」の中に登場する、
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」という
台詞であるが、なぜこんなにも台詞だけが心に残っているのか。
それは、現代の自分の存在を誇示することに必死な
姿を見ているからのように僕は感じてしまう。
今では自分から情報や感情を発信するのが当たり前の時代になっており、
そうした発信力がないと生き残れない風潮がある。
それは事実かもしれないが、1億弱の人口が発信する
読まれない呟きや投稿も発生しており、いわば形のない
ゴミがネットの海には漂っていることになる。
これらは誰かにとっては救いになったり、
なんらかのアイデアの元になる可能性はあるが、
ゴミの数があり過ぎて砂の中からビーズを探すかのような
徒労を覚えることがある。
3・発信=自傷行為
これだけ情報がたくさんあるということは、
自分がどれだけ熱意を持った意見をネット上で
投げかけてみたとしても、それは誰かにとっては
ごみでしかない可能性が大きい訳である。
そう考えれば、僕がはじめに言った
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」
という言葉が、より切ないものに感じてしまう。
自分という存在がより多角的に見られる時代になったからこそ、
より自分の人生が軽いもののように感じられ、
その存在を強調するためにまた誰にも見られない投稿や
呟きをネットの海に落としてしまう。
その行為が、自傷行為になっている可能性があるにも関わらず……。
4・精神をすり減らす前に
別に意見を投げかけるのが悪い、というつもりはない。
ただ、僕としてはそこまで躍起になってネットの海に
情報を投げかけることが、自分の人生や命を削ってまで
やるべき行為なのかということである。
最近ではSNSの投稿やネット記事に過剰反応することで精神をすり減らし、
精神を病んでしまう人も数多くみている。
自己主張は大事だと思うが、その行為がより
自分の存在を否定したり薄くしていることがあることは
意識すべきなのではないかと思ったりする。