ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】善意と悪意の狭間に人間は立っている

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1・人の善意とは

 

私はライターなんて仕事をしているが、

 

映画やドラマなどで見かける危険な綱渡りなんてないし、

 

誰かのプライベートを切り売りしているような記事を

 

書くような仕事はしていない。

 

まだそのレベルではないだけかもしれないが、

 

ネットというのは人の感情を増減する装置であるとは

 

良く言われている話である。

 

昨今の例で言えば、地震の予言に関する記事などが

 

顕著などではないだろうか。

 

ああした記事を流すことで人の恐怖心を扇動し、

 

その記事をクリックして中身をチェックするように

 

促すような効果がある。

 

しかし、この記事が本当に何らかの根拠を持ち、

 

日本に住む人たちに対して警鐘を鳴らしていたのであれば、

 

それはまったく悪意だけで書かれているとは言えないのではないだろうか。

 

2・善意の根っこには欲望あり

 

僕は善意からはじまる行為というのは、

 

基本的にはそれを否定するつもりはない。

 

ボランティアなども無償などというが、

 

僕としては自分が「人の役に立ちたい」や

 

「誰か感謝されたい」、「社会に参加したい」という

 

思いの元になりたっていると思う。

 

だから、私利私欲がまったく入っていない善意などは存在せず、

 

人間なのだから何らかの思慮や思惑があって善意を働くことは

 

まったく間違いではないと僕は思ったりする。

 

でも、それが今では完全なる「全知全能」を求めるような

 

風潮を僕は感じることがあって、まるでハリボテに描かれた

 

神様だけを見ていたいと思っているように感じる。

 

神様だって、自分が生活するために

 

布教活動をしていたと思うほうが、僕は人間臭くて

 

好きだったするのである。

 

3・アンドロイドは夢をみない

 

昔では隣のおばちゃんがお節介を焼いてくるなど、

 

自分の住む地域の界隈の人間が関わりを持つことは

 

当たり前であった。

 

それがいいとか悪いとかいうつもりはないが、

 

今では人の個が進み、どんどん必要のない人を

 

仕事の「効率化」のように削除している。

 

そうした効率化の先に、僕たちはそのうち

 

善意と悪意という判断をすることもできることができず、

 

ただ生きるためだけに物事を「こなす」だけに

 

なっていくのではないかと思ったりする。

 

昔のSF映画ではないけれどアンドロイドのような

 

人間ばかりになってしまうのではないかという

 

危惧はあったりする。

 

4・チキンパーティー

 

最近、僕は「チキンパーティー」という

 

金田一連十郎さんの作品を読んだ。

 

善意で厚かましくて、人にお節介ばかり焼く

 

「トリ」と、孤独な中学生が主人公である。

 

主人公がはじめはトリを鬱陶しく感じるのだが、

 

その善意に徐々に心が解けていく姿が描かれている。

 

その「トリ」の善意が、中学生にとっては悪意でしかない。

 

でもそれによって救われる瞬間やつながりというのは、

 

まったく無駄ではないし、効率化によって削除して

 

いいものではないと思ったりするわけである。

 

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