ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000文字コラム】 ネットの記事に思うこと

1・ある番組での出来事

 

あるネットニュースで、お昼のバラエティー番組の一幕がやり玉に上げられていた。

 

news.nicovideo.jp

 

ある老人にタレントが道を尋ね、その老人が「丁字路」と発言をしたようだ。

 

あまり知られていない事実かもしれないが、昔は「丁字路」という表記もあり、

 

それが今ではアルファベットの「T」という表記に代わっていったようだ。

 

しかし、タレントはこの事実を知らなかったようで、テレビ的には

 

老人を間違った表現をしている人間という風に映し出し、嘲笑の対象のように

 

編集をしてしまったようだ。

 

このような姿は「やりおったーー!!」とネット民には格好の餌食で、

 

よくあるいたちごっこのように見える。

 

でも、記事についていたコメントを見ていると、意外と

 

ただ「知らなかったのかバカ」みたいなコメントばかりではなかった。

 

2・実際に問題の映像を見てみる

 

コメントを見ていると、どちらかというと

 

老人を擁護するようなコメントが多く、

 

日本語の危惧やテレビ局を批判するようなコメントが多かった。

 

言ってしまえば道徳心のようなものに根付いた発想のように感じる。

 

実際に動画を見てみたが、あまり老人を嘲笑したような編集ではなく、

 

ただ「変わった表現かも」という形で使っていただけのように見える。

 

3・ぶっちゃけ、どっちでもいいでしょ?

 

ぼくは思う訳である。

 

こうした記事が出てくるたび、

 

それがあっていようがいまいが、

 

道徳的にどうであろうと何だろうと、

 

あなたにはどうでもいいだろうと。

 

だから、書いている人も特に何も考えるずに投稿していることもあれば、

 

本当に何か問題意識を持って書いているかもしれない。

 

そんなものは、やはりコメントからでは計れないものがある。

 

しかし、誰もがそのどうでもいいような記事に躍起になり、

 

目の前の現実よりも自分の意見の正しさを主張することに執心している。

 

記事にコメントやSNSに呟くことに

 

必死になった大人たちが増え、

 

群れたのは若者ではなくて、むしろ利益や

 

自分たちの立場を守りたい大人たちかもしれない。

 

4・感情の増幅と議論は違う

 

ネットを拒絶する世代と受け入れる世代には、

 

僕は結局は保身的なのか積極的なのかという差を

 

感じている。

 

ネットにてなんでも発信することが

 

いいと断言はできないが、

 

少なくとも保身的な人と会話していても

 

物事が解決するとは思えない。

 

では、今回のような記事にコメントを

 

することがプラスになるのか。

 

僕としては感じない。

 

それはただの感想であり、感情の増幅や方向性を

 

コントロールさえされている。

 

僕はそのように感じてしまう。

 

とどのつまり、自分の正しさを証明する

 

足跡でしかない、というところである。

 

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