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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

みんな育児に「危機感」を覚えているんだと思う

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恋愛観にかんする記事閲覧、ありがとうございます。

 
先日は「500日のサマー」を題材にしながら、今の恋愛観について多くの方に記事を見ていただきました。ありがとうございます。
 
 
最近、ネットやこのブログ、強いては普段の生活の中でも「育児」や「働き方」がテーマになったり、話題になることが多い気がする。直近で言えば「保育園落ちた死ね」などは記憶に新しい。
 
 
文章がどうのこうの言うつもりはないですが、非常に訴えるものがあるブログだなと思った。このブログだけでなく、「待機児童」にかんするブログしかり、育児をテーマにして執筆されている方も多くいる。
 
 
だがしかし、残念ながら僕たち新たな世代を育てる年齢に差し掛かる僕たちには、新たな世代よりも、これから老いる世代を支えることを優遇させられている感覚が拭えない。
 
止まらない保険料の圧迫と、安定しない働き方に、働きたくても整わない育児環境。この環境に僕たちは声を挙げるべきなのだけれど、前にもこの文章で話したように政治家は「数」が取れる場所から考える。
 
 
政治家さんに僕たち育児世代がどれだけ不満を漏らしても、彼らは日本国民のパーセンテージで言うところの「団塊」の人たちを重視するだろう。彼等に向けた政策や働きかけをするほうが、政治家さんに取ってもメリットがあるからだ。このままでは、まさに僕たちは「ロスジェネ」となってしまう。
 

高齢社会をネガティブに捉える日本、ポジティブに捉える洋画

 
僕たちが直面している超少子高齢化社会は、海外ではすでに経験されたことで、映画の題材にもなっている。ジブリ制作のアニメ映画「しわ」は、今までのジブリからは伺えないような、老人の悲しい現実と老後のあり方が描かれた。僕はこの映画を観て、老後の人生が絶望的に描かれているのが鼻に付いた。まるで年老いたらそれで終わり、のような、まるで価値なんてないと言った描き方が嫌いだった。
 
そして、この作品の根底にある考え方と、今の僕たちが思う絶望も同じような気がした。たしかに、僕もおじさんは苦手だし好きではない。だけど、そこまで卑下するものだろうか。
 
洋画で老後社会を描いたものに「最高の人生の見つけ方」や「人生の特等席」、老夫婦が銀行を襲う「人生に乾杯」、シニア夫婦のセックスレスを描いた「31年目の夫婦喧嘩」など、高齢者の人生について描かれた作品はたくさんある。この作品たちに一貫して感じるのは「希望」だった。
 
年寄りになるのは誰でも嫌である。しかし、肉体的に精神的にどれだけ若くても、世代的な老いは必ずやってくる。だから、この決められた定めに対して、むしろ僕たちが何をできるのか考えるほうが大事なんじゃないかと思う。
 

街の中に新たなコミュニティを作る

 
先日、テレビでこのような施設があることを放映していた。
 
 
この施設は、街の中に大きな間借りのコミュニティを形成し、小さな「村」を作って孤独な人を生み出さない試みである。この中で住む学生は家賃が安い代わりに子供の面倒を見るボランティアに奉仕しなければならない。老人もコミュニティの中にある店番をしたり、子供の世話をすることになる。これを見ていて、僕はこういうのも「アリだな」と純粋におもえた。
 
老人を介護の対象として捉えるのではなくて、生活基盤の1つとして組み込む。きちんと役割を与えるほうが、老人だってただ施設に入るより生き生きするだろう。画面越しだったが、コミュニティの中で店番をしたり、子供の世話をする老人たちは生き生きしていた。
 
僕たち新たな育児世代は、もちろん待機児童や労働環境に異を唱えるべきである。しかし、それだけでは政府は何もしないことも考慮すべきだと思う。それならば、今回紹介したような、新たなコミュニティ作りや、僕たちからも子供を「預ける」勇気を持たなければいけないと感じてしまう。
 
叫ぶなと言いたいわけではない。でも、叫び続けると、僕たちはいつの間にか目的を忘れてしまい、手段ばかり考えていることも多い。平和を歌って戦争しているはずが、いつのまにか核まで作ったアメリカのように。
 
あくまで僕たちは「生活」するために声をあげていて、何かを倒すために闘ったりヘイトをしているわけではないはずである。それならば、言葉は悪いかもしれないが「使えるものを有効活用する」という発想のほうが、僕としてはまだ健全に思うわけだ。
 
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