ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

久々に田舎地域を訪れて思ったこと~地方を「姥捨山」にしてはいけない~

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僕は先日、約5年ぶりに祖父祖母の住んでいる愛媛県南予地域に向かった。弟はよく南予地域にドライブに行っているらしく「たまには帰らないと」と言われたので、塾講師から解放されたこともあって弟と祖父祖母の元へ向かうことにした。
 
愛媛県と聞けば「みかんでしょ」ぐらいしか浮かばない人も多いかと思う。少し知られているのは松山にある道後温泉しまなみ街道、あとは愛媛マラソンぐらいだと思う。
 
これらはすべて都心に集約していて、田舎にあるものではない。僕が向かった南予地域は、山と海しかない地域で、古民家が至るところに見える。最近はドライブの需要にあわせて道の駅などは充実している。ぼくも道の駅に立ち寄り、南予地域で取れる肉を使った焼き鳥に舌鼓を打った。でも、その道の駅を使う人・販売する人のどちらもが高齢化が進んでいた。
 
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祖父祖母の家は山の中腹にあって、坂道に石垣の土台を作ってその上に建てられてある。農家独特の横に広い家で、中は木々の匂いであふれている。ようきたなぁ、なんて言いながら祖母は手作りの稲荷や魚の煮付け、きゅうりとタコの酢漬け(今風に言えばマネリ的なものか)、たけのことコンニャクの煮付けをいただいた。今の時代にはない、少し甘めの味付けだ。でも、どこか懐かしくて、すべて美味しくいただいた。
 
祖父はすでに80になっていて、元々わるい足が悪化してほとんど寝ていることが多いらしかった。昔はお盆の時期に家族で里帰りしていたのだけれど、祖父はいつも農作業で日中家にいることは少なかった。そんな祖父が座椅子に腰を掛けているのは、どこか僕にとって不思議な感覚だった。
 
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帰る前、僕と弟は子供のころ遊びに行っていた滝を見に行こうとした。しかし、その滝は誰も手入れをする人がいなくなったらしく、樹々が倒れて道がふさがっていた。その木が原因で排水溝も詰まり、滝までの道が水びたしにもなっていた。とてもじゃないが行くことができず、僕たちは止む無く引き返すことになった。
 
僕が子供のころ、この南予地域はとても大きかった。今でも山は大きい。でも、今回訪れた南予地域はとても小さくて、今にも崩れてしまいそうだった。道行く人は杖や手押し車を使って移動する人が多くて、バスも電車も走っていない。これからどうやって生きていけばいいんだろうか。まるで滝に行く道までのように、このまま地方から徐々に日本という国が瓦解していくのではないだろうか。そんな国を捨てていのいちばんに立ち去るのは、国会のイスに深く腰を掛けている人なのだろうと僕は思ってしまった。
 
でも、祖父祖母の顔に僕が抱くような暗さは見えなかった。もちろん、国会の人たちのような暗渠もなかった。僕たちに会って喜んでくれていたのもあったんだろうけれど、山で生きてきた「強さ」みたいなのを感じた。強いものに巻かれたり、ひとつのやり方・生き方で踏ん切りをつけられない僕たちの方が、勝手に「介護が〜」とか「育児が〜」とかで迷っているのが、なんかバカらしくなってくる。そう考えると、ネットとかの批判って耳くそ目くそなんだなと思わざるを得なかった。だって、どこでどんな風に生きるのも、それを決めるのは当人なんだから。
 
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今は都心に何でも集中している。
 
仕事もものもサービスも。
 
今までは地縁に頼った生活だったのに、都心集中の現代になって地方は見捨てられつつある。そのせいもあって、取り残された高齢者の人が身動きできない状態になっていた。まるで姥捨山だな、と思うこともあった。
 
でも、どこに誰が何をするために住もうが、それは勝手なのである。だから、無理に「高齢者」と決めつけて介護施設に送ったり、都心や特定の地域に高齢者を集めたりするのは、現代人のエゴのように思う。僕たち現代の人にはないメンタル的な強さと生活の含蓄は、圧倒的に先人達のほうが持っている。インターネットになんて載っていない、本当の強さや知恵がある。
 
 
昨今、育児にかんする問題は熾烈を極めている。コメントとかで「都心に住まなければいい」とかカンタンに言う人もいるけれど、この問題って住む場所を変えたり、保育所をたくさん作ったからと言って解決することではない。この「ニャート」さんの記事にもあるように、僕はもっともっと「働く」ことに対して考えないといけないと思っている。
 
僕たちの仕事単価は時代が進んごとに低くなっている。どんどん仕事の効率が求められ、短い時間でたくさんの物量を重ねないとお金にならなくなった。でも僕は、この事実を確認するたびにまるでアリ地獄みたいだ、と感じてしまう。終わりのない仕事だけやって、僕たちから生活が無くなっていく感じしかしない。
 
僕たちが余裕持って年老いた両親や子供との時間を持てる生き方に変えていかないと、育児も介護も絶対に解決しない。今回の南予地域への旅行で、僕は強く思った。
 
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