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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

本の強みは問いかける力 ~余白の精神に基づく書き方~

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先日、私がよく拝読している「かんどー」様のブログにてこのような記事があった。

 
 
週刊誌にご自身のブログが紹介されたとのことだけれど、素直に羨ましいと思った。よく世間では「本はオワコン」や「出版業界は斜陽」という話を聞くけれど、本や雑誌が持つ力は大きい。なんで大きいかと言うと、編集された内容だけではなくて付加価値が付いているからだと思う。
 

本が持つ価値とは「移動」と「伝達」

 
「本の方が温かみがある」とかではなくて、本がひとつ市場に出るだけで多くのお金が動く。編集するために人も動く。「本はお金が掛かる」というけれど、それは当然である。多くの人の手が関わり、1冊の本になるのだから。このやり方は古臭くて無意味なように感じるかもしれないけれど、本に温かみを感じるのは多くの人の手が加わっているからだと僕は思う。
 
もちろん、本なのだからそこに記載してある情報には価値が求められる。ただ、その情報というものの質には違いがあるような気がする。
 

「インターネット」と「本」における情報の質の違い

 
インターネットの情報は、別の言い方をすれば「解答」だと考えている。インターネットで検索をする人は、自分がほしい情報を求めて検索をかける。自分が求めるキーワードに沿ってページが表れ、ひとつの「解答」を提示する。
 
これに対して、本は「問い」を投げ掛けてくる。タイトルや内容に読書が求める情報があったとしても、それは完全なる解答ではない。あくまで読み手を意識した隙、みたいなものを僕は感じる。
 
日本には「余白」を意識した美意識がある。京都の銀閣にある「枯山水」思い起こしてほしい。枯山水は、水を使わずに波の流れる海を表現している。この波の表現も、海や水のすべてを表現していない。ただ波のようなイメージを石庭にて表現しているに過ぎない。それなのに、人はその庭から海を感じる。
 
この相手に想像を促す発想は、日本古来にある敬語にも通ずるものがあると思う。敬語は自分ではなくて、相手を立てることで自分の敬意を表現する。発議しているのは自分だが、相手を直接的に評価はしていない。これも「余白」を用いた自己表現になるのだと思う。もっと言えば、本と同じく相手に「問い」を投げることで自分のフィールドへと誘い出している。
 

僕はエッセイストのほうをやりたい

 
僕はこのブログで、あまりアフィリ色の強い内容を書こうとは思っていない。でも、好きかって書いたところで誰も見ないだろうし、情報としても落第者だろう。しかし、このような記事であっても誰かにとっての「解答」であり、何らかの「問い」を投げ掛けていきたいと思っている。
 
 
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