ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

不幸をバネにするな!~一括採用の是非と会社組織の限界~

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一括採用で就職できない人はダメな人なのか?

 

会社には勤めたくない。

このような発言をすると、多くの人はいい目で僕のことを見ないだろう。もしくは、もっともらしいことを発言してお金を巻き上げる教祖的に見られることもある。僕としてはそんな教祖にもなりたくないし、白い目で見られる以前にチャンスだって与えられていない。

 

僕としては、仕事の選択肢としてフリーランスを選んでいるだけであって、そこにはきちんとした考えがある。それが「就活」や「一括採用」するというのが普通みたいな考え方があるだけで、ひとりで仕事をする選択を蔑ろにされてはたまらないのである。

 

実際、今では誰もが大学に入れるけれど、その先が無い時代。そんな時代において就活とか一括採用なんて、ナンセンス過ぎる。しかし、その中で中途採用を行う企業が少しずつ増えているようである。

 

hanjohanjo.jp

 

転職コンサルタントの73%が「2016年は35歳以上のミドルを対象にした求人が増える」と回答している。企業の採用における若手志向は依然として強いが、若者人口の減少に伴って採用が困難な状況にあり、対象年齢を上げざるを得ないことや、就職氷河期を経験した世代である35歳から45歳の人材が企業にとってもほかの年齢層に比べて少ないことなどが理由に挙げられている。

http://hanjohanjo.jp/article/2016/02/23/5131.html

 

今では、とりあえず「新卒切符」を利用してどこかに就職し、別の企業へとジャンプアップする人も増えている。僕の周りでも転職する人は3人に1人はいる気がする。企業側としても一括採用を利用し、新たな人材確保を考えているような気がする。

 

toianna.hatenablog.com

 

就活は結局、大学生までにキャリアを決められなかった人間の「敗者復活戦」です。極端ですけどプロ野球選手、ピアニストになれる人たちは小学生からやること決めてるわけです。就活って生まれた瞬間から始まってるんだぞと。

ある程度凡庸な人だから、大学生になって初めて自らのキャリアを考えざるをえなくなり、就活をするわけです。折に触れて自分のキャリアを考える時間があったはずなのに、大学3年生や就活を間近に控えてから急に焦って「就職先」だけを考えて、OB/OG訪問をしても遅いんですよ。しかも、大体の場合、就活生にとってOB/OG訪問は就活をやっている「意識高い」自分に酔っているだけなんです。

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/02/09/170000

 

よく拝読するトイアンナさんのブログには、実際に大きな商社に勤めている方のインタビュー記事がある。この記事でおもしろいのは、商社という大きな組織に所属している人が、働いている人や就活生をよしとしていない点。企業の人でさえ、一括採用や学生の就活で効率よく人材確保なんてできない現実を知っているのである。

 

こんな記事が出回れば、今現在就活をがんばっている学生の心など、一撃で粉砕されるだろう。

 

僕が会社が嫌いな理由

 

僕は会社に5年勤めてみた結果、今の生活をしてみることを選んだ。単純に仕事がつらいこともあったが、僕が何度かこのブログで言っている「生活のための仕事」をしたいこともあって選んだ。

 

しかし、僕が今のフリーランスを選んだのは生き方だけでない。会社に勤めていると、まだ昭和の「高度経済」を追い駆けているような仕事観に着いていけないからである。仕事の中で「仕事が最も大事だ」とか、「仕事だから仕方ない」とか言うのはマシである。それだけでなくて、全体主義的な流れが色濃く残っているのが鼻に付く。

 

eigyo-woman.hateblo.jp

 

「うどん」さんのブログにもあるように、とある商材を売るためならば社員のことなど関係なのである。このブログ内でもあるように、とある商材に問題があるにも関わらず、社員には営業をけしかける。この商材を売っている上司や役員は、ものが全国的に普及してしまえば、おそらく「みんな使っている」と思ってもらえるとでも思っているのではないだろうか。

 

高度経済成長も同じで、みんなが同じ方向を向いていた。それは決して悪いことではないけれど、みんなが「幸せになる」ことにがむしゃらで、懸命に走っていた。でも、そんなけなげさが公害や薬害を生み出したのも事実である。そして、悪いことも「みんな使っている」や「仕方ない」ということで看過されてきたのではないだろうか。日本全体が成長するなら多少の犠牲はやむを得ないなんて、そんなことが許されるのはアニメだけで十分である。

 

今の日本企業でも、「上司が残業するため社員全員が残らなければいけない」という場所があると友人から聞いた。なんで仕事を効率よく片付けられない人のために、巻き込まれなければいけないのか。仕事が残るならば、そうならないように上司が仕事を仕分けるべきだろう。こんな事例を聞いてしまった今、なおさら会社で仕事なんてする気になれない。

 

仕事に追われて育児もできない

 

kittystyle.net

 

フルタイムで働いても半分以上保育園代でなくなっちゃう・・・というのもなんだかなーと思います。キャリアを積むことや、子供たちが大きくなっても仕事を続けていくためには仕方のないことだと思いつつ、きっとやり切れないんだろうなあと予想できます。高いですよね、保育園・・・。

http://kittystyle.net/taikijidou0challenge.html

 

では、そんなしんどいことだらけの企業に入って生活や育児が確保されるのかというと、そんなこともない。僕も参加した「待機児童(#taikijidou0challenge)」にかんする記事を読んでいると、この国というのは本当に終わってると感じる。仕事をしても生活は豊かにならないし、むしろ育児さえできない環境になる。本当に意味がわからない。さまざまな「待機児童」にかんする記事を拝読させていただいたけれど、今最も考えるべきなのは「育児」と「仕事」の改革に尽きると感じさせる。

 

僕だって企業から仕事をもらっているので、会社のすべてを否定したいわけではない。ただ、未だに残る全体主義的な香りがきつすぎて、日本独自の「自己犠牲」を美徳として幸せになることを放棄している感じがある。そんな匂いを払拭したくて、僕はこのように記事を書いている。

 

映画に「Always」というものがある。ありし日本の風景を映したきれいな映画だが、僕はもろ手を挙げていい映画だと言えない。どん底の経済状況から抜け出そうとする日本人たちを描いたものだが、そういった価値観はすでに使い古されたものではないだろうか。

 

自分の生きたい人生になるように努力や、諦めない根性は必要である。しかし、不幸をバネにして成長するのは辞めようじゃないか。不幸は不幸でしかないし、不幸で幸せになっても、結局は他者に不幸を強いることになる。それこそ、今の大人たちのように「俺もがんばっているからお前もがんばれ」的な発言をする人を増やすだけである。

 

大声で「幸せになりたい」、「子どもを育てたい」と叫んだっていいじゃないか。何も恥ずかしい事なんてない。叫べばいい。叫ぶしかない。叫ぼうよ!

 

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ryuuraita.hatenablog.com

 

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