ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

仕事なんてダサくていい

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ども、リュウ・ライタです。本日もゆる〜く書いております。
 
僕は今、いわゆるライターなんていう、何しているのかわからないな仕事をしています。
一般的には物を書く仕事という認識はあるかと思いますけれど、フワッとしていて、イメージはしづらいかなって思います。
 
まぁ、こちらのブログにて映画を中心にシコタマ書いていますしね笑
見る人が見れば「ヒマな人やな」と思うだろうし、別の人が見れば「毎日続いてすごいね」と感想をいただけるでしょう。
 
……あっ、毎日続いているのは、こちらの模型ブログですね。このブログに貼り付けている模型の写真も、僕が作っているんです。
 
 
以前は塾講師の仕事をしていたんですけれど、けっこうキツい仕事です。以前、別の記事でも書いたんですけれど、塾講師って仕事をずっと続けるのは、僕にとっては現実的ではなかったです。
 
夜遅くまで仕事しますし、集中講習になるとほぼ休みなしで授業して「従軍か‼︎」とツッコミたくなります。
 
こんな僕の意見に対して「情けない」、「仕事は辛いものや」、「考えが甘い」という意見もあるでしょう。
でも、今の僕はその意見に敢然とNOと言います。僕にとって仕事は、自分を自慢するステータスではなくて、生活するための手段でしかないからです。
 
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学生時代までの僕は、本当に思考停止していたと思うし、生きるための方法というか、手段的なものは何も考えてなかったです。典型的な「勉強していなさい」とだけ言われて、それを鵜呑みにしていた、大人が作って大人が揶揄する「ゆとり」でした。
 
そんな僕にとって会社や仕事が何を意味するのかわからなかったし、お金をもらうための作業でしかなかったかと思います。
 
5年ばかり塾で働いているとき、とにかく目の前の生徒にとって有益な授業をするのが目的でした。それがお金をもらう上で、最低条件だと感じていました。
 
ただ、塾の仕事をしている中で、僕はどこまで彼ら・彼女らに奉仕しなければいけないのかと考えると、少しゾッとしました。
ゾッとしたとき、それは「作業」などという生易しい言葉ではなくて、「隷属」に近い言葉が頭をよぎりました。
 
僕には書く仕事はしたいという目的があって、それを実現するするための塾講師でした。にもかかわらず、いちど組織に入って、作業していくと延々にサービスを提供しなければいけない立場になっていました。
それは、まさにアリ地獄と変わりません。
 
アリ地獄にいると、次第に「このままでええか」とも思うようになってきます。ある種、これも麻薬と変わらん気がします。
「お金が貰えるならええか」や「仕事でよき地位に立てる」というのは、すり替えでしかないんです。
ですけど、そのことには中々気付けず、忙しい自分や仕事してる自分を「カッコいい」なんて錯覚するんです。
 
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お金をもらうためには仕事や嫌なことをすることも必要です。それはわかります。
ただ、その仕事によって自分の生活基盤が崩れてしまうのは、やはりナンセンスだと思わざるを得ないんです。
 
だって、生活するためにお金を貰っているのに、なんでその行為によった精神病んだりたい病患ったり、人間関係壊さないといけないんですか。僕にはわかりません。
 
生活のために仕事はあるわけで、仕事のために人生がダメになるのは、僕はイヤやなって感じてしまいます。
 
仕事そのものが人生だ、という方の考えを否定するつもりはないですけれど、少なくとも僕は仕事を美化するつもりはないです。
 
仕事なんて、ダサくてカッコいいものじゃないんです。泥臭くて、質素で、地味でええと思います。そんな慎ましい生活でも、僕は「生活」のある人生を選びたいです。
 
何か偉業を成すための仕事なんて、僕にとっては何らかのイコンや象徴でしかないです。
これからも「忙しい」と言いたくないし、仕事を言い訳にしたくはないんですよね。
言うのであれば、自分にとって「やるべきことをやる」と言い換えたいです。
 
きちんと「やるべきこと」が見えてくると、仕事に対する美化が消えていき、生きやすくなるんじゃないかなぁと、ほんのり思ったりしております。