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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】群れることの無意味さ

1000字コラム

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1・群れるのが嫌いである

 

先日、私はとある人の元へ営業に行っていた。

 

その人は地方都市では珍しく、群れることに

 

抵抗を覚えている人だった。

 

私は職業柄ということもあるし、本質的に

 

群れることが嫌いな人間なので、営業の話

 

そっちのけで一匹狼談議に花が咲く形となった。

 

別に一匹狼賛歌を歌うつもりはない。

 

しかし、私は今の時代に派閥や何かの組織に

 

属しているということが、一体何の価値を

 

生み出すのかというのがよくわからないのである。

 

2・チームは必要だけど、同じ思想を共有するだけの仲間はいらない

 

日本は100年以上の老舗が数多く存在する

 

社会として、世界の中では割と長寿会社が

 

多く残る社会として知られている。

 

しかし、その実は身内経営や自分の顧客を

 

守ると言った、ネガティブというか

 

後ろ向きなというか「その地元の輪」の中で

 

残ってきた老舗店というほうが数多く残っている感がある。

 

では、現代においてこうした老舗店が残っていることに

 

価値があるかと言えば、私の場合はあまり

 

価値は残っておらず、そのシステムのほとんどが

 

形骸化した「文化財」として国の庇護を受けているのが

 

大半なのではないかと思ってしまうわけである。

 

別に私としては、過去の偉業や今で粛々と語り継がれてきた

 

文化財を全否定するつもりはない。

 

その技術を受け継ぐことで歴史や文化が守られるのだから、

 

当然すべきことではあると思う。

 

ただ、それが「庇護」や「守る」だけの対象でいいのだろうか、

 

という部分が大事な訳である。

 

3・攻める時代を迎えた日本

 

今ではあらゆるサービスや商品が瞬時にやりとりされる時代となり、

 

その規模や市場範囲は日本だけではなくて世界を見据える

 

必要性に迫られている。

 

私が東京に向かったときは、その外人の数に

 

ただ圧倒されてしまうばかりだった。

 

そんな時代に、日本の文化や財産を日本だけで守っていくことに

 

意味があるのだろうか。

 

私はそこに対して、あまり意味がないと感じざるを得ないのである。

 

その文化財が日本人にとっては当たり前過ぎてどうでもいいものでも、

 

その文化に触れたことがない外国人には真新しいものだったりするのである。

 

ならば、ただ守るだけでなく「知ってもらう」チャンスや

 

売り出す環境はもっと作るべきなのではないだろうか。

 

どうしても、私はそう思わざるを得ないのである。

 

4・日本が刀を再び握るのはいつになる

 

私のこうした意見に対して、とある知人は

 

「日本は無理にグローバルになる必要はないよ」

 

という意見も聞いたことがある。

 

それは歴史が証明しているように、日本は

 

過去に100年あまり鎖国を成功させている。

 

自国だけでも成立できる環境や自然が、

 

確かにあるのはあるわけである。

 

しかし、現代でそれをしてしまうと、

 

あらゆる技術を手放すことになるのではないかという

 

危惧も、同時に頭をよぎってしまう訳である。

 

私としても今以上の技術革新が果たして必要かと言われると、

 

正直いらないとは思ってしまう。

 

しかし、わざわざ時代を逆行する道を取るぐらいならば、

 

日本の文化を「守る」対象から「攻める」武器へと

 

変えていく英断は必要なのではないかと、素人ながら私などは思っている。

 

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