ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】がめつく生きたっていいじゃない~残業や会社勤めで辛い人に贈る言葉~

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https://twitter.com/kadikadisake/status/794515726920912896

 

 1・過労死が増える現実

 

最近は過労死や労災がまったく機能していないことで、

 

数々の労働者が苦しめられている事案を多く見かける時代になった。

 

ある大手企業でも100時間の残業が問題になり、厚労省でも

 

電話による相談に乗ったらしいが、その中には月給1万で

 

働かされたり、休みが1か月の中で1日もないのはザラあったようだ。

 

2・「仕事」という呪縛

headlines.yahoo.co.jp

 

こちらの記事にもあるが、僕としても

 

働き過ぎた人というのは、ある種の催眠や

 

「会社」という思想に染まっているのだと思う。

 

「自分が居なければ」や「働かなければ」という

 

呪縛のような念に取り付かれ、身動きができないという。

 

私も前職の経験で似たような思いを抱いたことがあったが、

 

「私が倒れたときの損失」という言葉が頭をよぎった。

 

自分が倒れて仕事に長期出られなくなったとき、

 

会社はどれだけ損失を被るのだろうか、と。

 

長い目で見れる人ほど適度に休暇を取るし、

 

自分の存在を仕事に求めはしないのだろうと僕は思っている。

 

3・生きることと死ぬことをコスト面から考える

 

 

今の人たちがどうして働き過ぎるのか。

 

それは色々あるだろう。

 

奨学金の返済や家族を養うため、

 

家賃や公共費用を支払うためなど、

 

さまざまな理由が頭の中に浮かんでくる。

 

もちろん、どのお金もきちんと支払うべきものである。

 

しかし、どのお金も人の「命」を賄ってまで

 

支払う必要のあるお金なのだろうか。

 

いやらしい話、人が生き続けるコストと死ぬことを考えたとき、

 

働ける人がこの世からいなくなってしまうことのほうが

 

コストとしては損になってしまう。

 

では、働かない人はどうかと言えば、働かない人にも

 

お金をペイし続けることで通貨(税金など)は流動するので、

 

そういった意味ではいてくれるほうがいいのではないかと

 

思ったりするわけである。

 

アリの群衆には必ず働かないアリがいるというが、

 

実は働けないアリが出てきたときのピンチヒッターという

 

説もあるようなので、そう考えれば今働けない人も

 

そのうち活躍するという「機会」を考えれば、

 

税金などで付与することはまったく無価値ではないわけである。

 

(働ける人を確保するために、ハローワークなどにお金が使われているはずだし)

 

反対に人がいなくなると、その人を火葬するだけのコストが掛かるだけでなく、

 

新しいものを生み出す「機会」という大きな損失をしている。

 

人がいなくなるというのは、

 

思っている以上に心的な損失も被るものである。

 

4・がめつく生きたっていいじゃない

 

 

現代では「コストに見合った仕事にしろ」とか

 

「お前がいないと仕事が回らない」と言って、

 

あなたの金銭的状況を逆手にとって

 

数多の仕事を押し付けてくるかもしれない。

 

でもそんなのは、きちんと仕事を割り振れない

 

上司のミスなのである。

 

「休むことも仕事」であるように、

 

私たちは生き物である以上、きちんと自分が

 

休息を取らないと別の誰かに「休息」など

 

提供できるわけないのである。

 

私は「休みなく働け」という人には

 

「休みなく働いても生産性が落ちるだけ」と

 

必ず言ってやりたい。

 

あなたのその一言が、会社なんて小さい単位ではなく

 

社会という範囲で大きな損失を生むことを、

 

私ならばくどくどと説教してやりたくなる。

 

仕事をおしつけてくる人のために死んでやることなんてない、

 

がめつくてもいい、嫌われてもいいから「私は休みたい」や

 

「私が死んだ分の損失をあなたは埋められますか」と

 

言う勇気を持ってほしいと僕は思ってしまう。

 

 

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