読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

救いを求める大人、自由を求める子どもたち

f:id:ryuuraita:20160805234157j:plain

 

俺は最近、「児童福祉士」について調べることがあった。

 

「児童福祉」とは、いじめや虐待、育児放棄を受けた子どもたちの心のケアを主に生業としているようである。ほかにも身体的障害・発育障害を持った親御さんのフォローにも努めているとのことだ。

 

「児童福祉」と聞くと、どうしても子どもにフォーカスした仕事だと思いがちだが、実際のところは親への育児に関するフォローや相談も業務の中に入っている。私としても育児とは「子ども」だけのものではなくて、「親と子ども」はセットのように思っている。子どもだけでも、大人だけでも「親子」にはなれないのだから。

 

もっと調べてみると、現代では児童福祉士の数は増えており、それは悩んでいる人や虐待に合っている人が増えていることを意味する。しかし、もっと言えば「育児に悩んでいる親」も同じぐらい増えているんだと思った。

 

近年で虐待相談数は7倍近くになった。

suzie-news.jp

 

昨今、児童虐待事件が多く報じられています。厚生労働省の発表によると、平成26年度、全国の児童相談所での児童虐待相談対応件数は8万8,931件。児童虐待防止法施行前の平成11年度に比べると、7.6倍にも増えています。

 

虐待だけで見てもこれだけの数になっているのだから、育児に関する相談や問題というのは、表面になっていないものを含めればもっとあるのだと思う。

 

先日、東京出身の人に「東京では副業が当たり前」という話を聞いた後、、どうして政府がマイナンバーを導入したいのかちょっとだけ得心が言った。問題が表面化しているときには、すでに問題ではなくて「事件」や「事故」という形で出現するのだと思った。

 

私は今の仕事に集中する前は塾講師の仕事をしていた。そのときでも、シングルマザーや経済的にギリギリそうに見える子どもたちは割と見かけた。私のような地方都市の人間でもこうした人たちをみるのだから、東京などの都心になればマンホールの下で暮らしたり、すでにストリートチルドレンなどがいるのではないかと思ってしまう。実際、私が知らないだけでいるのだろう。私が想像できてしまうぐらいなのだから……。

 

私は子どもを持っている訳でもないので、あまり偉そうな意見を言えるわけではない。だが、スマホばかりみて子どもが店内を走っている姿を放っているような親御さんを見ていると、やはり「虐待」や「ネグレクト」と言った問題は、自分とまったく関係ないとは思えない自分がいた。

 

なぜ大人たちは過保護・無視をするのか。

 

www.b4s.jp

 

「虐待」という言葉は、悩みながら子育てをしている親を追いつめ、かえって外から見えにくくしてしまうという指摘もあります。一方で、少子化に伴い増えてきている親の「過保護・過干渉」も子どもの成長にとって深刻な問題であると考えられています。

 

誰もが完璧な育児なんてできると、そもそも私は思っていない。しかし、誰もが同じような育児や教育をしようと思っている。そんな発想が今の、しんどい「育児」みたいな環境を作っているのではないかと私は思ったりする。

 

これは仕事などでも感じるところなのだが、私の上の世代の人は、後輩などに「自分と同じようにする」ことを求めているように感じる。それがある種の正解だとは思う。先輩のまねをすることで、仕事は覚えることができると思う。しかし、それは結局のところ「過保護」につながっているように感じる。

 

これは反対の「無視」でも言えることだと思っている。新入社員に対しても何の指導もせず、基本的なことは「見て覚えろ」というだけで、何も指導しない。これはアメリカでよく言われるところの「床上手な処女を探せ」と言っているのと同じだと思う。

 

どちらにしても、今の若い世代の人たちには、昔の人のような欲望の強さや精神的なタフさは備えていないかもしれない。しかし、上の世代の人たちは「能力を引き出す力」は欠けているに私は感じる。これは時代的に、教育が「平凡な仕事をこなす人」を作るようになっているのに、仕事では「即戦力」を求める作りになっていることにも起因していると思うなど、かなり個人的な感覚でしかない。

 

だが、この感覚が間違っているとは思わないし、先日みた「シン・ゴジラ」でも描かれていたように、私の上の世代が考えていることと、今の若者が考えていることや発想の仕方には大きなかい離が生まれているのは確かだと思う。

 

 

ryuuraita.hatenablog.com

 

大人も「教育」に熱中している。

 

今では私の地域でも「コンサルタント」と呼ばれる人たちがひしめきあっている。「コンサルタント」という言葉にあまりいい印象を持っていない人も多くいるが、私としては知り合いにきちんと仕事をしている人もいるので、一概にすべての人が「悪い」というつもりはない。結局のところ、私はこの人種を「使う」人や「利用」する側にも問題があると感じているからだ。

 

今は大人の人たちでも、これからの生き方について考えあぐねいている。どうすればこの不景気の日本でも生き残ることができ、損をしないのかばかり考えているように感じる。

 

だから、どの大人も「レッスン」や「セミナー」にこぞって参加して、知識を得ようとする。しかし、その知識を利用している人がいるかどうかと言えば、それもまた「利用者」の問題なのである。どれだけセミナー講師が話をしたとしても、実践するのは半数いるかどうかである。下手すれば1割の人が実践すればいいほうである(これもセミナーを実際にしている人からの体験談による)。

 

今の若者たちは、先代の人やセミナー講師、ハウトゥー本から得た知識を「焼きまわし」されているだけに過ぎない。これで健全な知識を得たり、技術を学べるかと言えば、それは難しいように感じる。みんなが「同じこと」をできるように求められる限り、どの人もがハウトゥーの焼きまわしを繰り返すのだと思うと、私個人としては辟易としてしまう。

 

これは、育児でも同じである。明らかな「間違い」は正すべきだと思うが、人それぞれ千差万別なのだから、「ちょっと」した違いが各家庭で発生するのは当然なのではないかと思う。だが、誰もが「正解」という解答を求め、「家族」というハコに同じようなモデルを詰め込もうとしている。私が見る現代とは、このようなイメージである。

 

大人は救いを求めて、子どもは自由を求めている。

今の大人たちは、先ほども紹介したハウトゥーなどに救いを求めているように感じる。これに対して子どもたちは、どこまでも「自由」を求めているように思う。

 

www.sankei.com

 

最近では、現代では高層マンションに住む子どもが高さの危険性を認識できず、転落死してしまうことが増えているらしい。この背景に、子どもが自由に動けるスペースが減っていることが起因しており、子ども自身が危機管理能力のコントロールが難しくなっているらしい。

 

体を使うことで、自分自身の身体の限界を知ることができます。ここまでの高さなら飛び降りても大丈夫だけど、これ以上の高さはまだ危ない、など。そうすることにより、子どもが自身で危険をコントロールできるようになり大きな怪我をしにくくなります。

https://meotalk.jp/childcare/4446

 

この考えが絶対などと言うつもりはないが、今ではちょっと危ないことをすれば訴訟、賠償、弁償という世知辛い言葉ばかりが先行し、子どもが自由に遊べる場所が少なくなっているのは事実だと思う。日本という狭い国土では仕方ないことかもしれないが、現実世界では子どもが自由にできる場所があまりにも少なくなってしまっているとは感じる。

 

しかし、それはすべて大人の「事情」である。子どもに「何でもできる」と誤解させるのはよくないが「挑戦してみる」ことの余裕は必要なのではないかと感じてしまう。どうしても「コスト」のような価値観が先行し、がんじがらめになっているようなイメージはある。

 

だが、子どもたちは自由を求めている。求めた先が、インターネットであり、そこでの自由な創作活動やコミュニケーションにつながっているのだと思う。大人がさまざまなことを制限した結果、スマホに辿りついた子どもたちが「スマホしてはダメ」なんて言われた日には、子どもが発狂しても仕方ないと私としては思ってしまう。

 

別に「昔が良かった」などと回帰主義を唱えるつもりはまったくないが、もっと私たちなりのアプローチを間違いながら、遠回りしながら、地道にやっていくしかないと私個人としては思ってしまうわけである。人間がいきなり賢くなるような「賢者の石」など、この世には存在しないのだから。

 

---------------------------------------------------

 

 

ryuuraita.hatenablog.com

 

ryuuraita.hatenablog.com