ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

線路は続かない、どこまでも・2

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2・

 

俺は一定の仕事を終えてから、その場所にいたカフェを後にして駅に向かった。

 

基本的に移動は自転車から電車などの公共機関で、車は持ち合わせていない。

 

車は好きではない、これは持てないからという単純な理由からではない。

 

私は幼少のころ、車に轢かれた経験がある。

 

車に潰された私の右足はボロボロになって、現場は騒然していたようだ。

 

幼少ながら、周りの人が俺に声を掛けている記憶はあるが、体の防衛反応か痛みや苦痛までは覚えていない。

 

しかし、自分よりも周りの人間の反応を見れば、自分がどれぐらい危険な状態だったのかは想像できる。

 

幼少のころにはわからなかったことだが、今冷静に判断すれば、あの事故がどれだけ自分にとって人生の分水嶺になっていたのかはわかる。

 

事故にあったこともあるが、それ以前に車を運転することは苦手だし、何よりも自分でどこでも行ける気持ちになる車という「わがまま」な存在が好きではなかった。

 

俺は駅に着くと、ICカードをかざしてホームへ向かおうとした。

 

しかし、なぜか俺のICカードはすでに「入場済」となって弾かれた。

 

おかしいと思いながらも、今回は切符売り場でお金を支払ってから入場することにした。

 

ホームにはスーツ姿のおじさんや3名で固まっている婦人、手押し車を持った女性の老人、鼻からチューブが出ている男性老人などがいた。

 

俺はそこに若い人が見受けられないことに絶望する。

 

この人たちは今から、どのようにして自分たちの社会を形成するのだろうかと思うと、俺は目をそむけたくなってしまう。

 

年配の人は「若い人は根気が足りない」だとか「きちんと年金を払え」と言うが、それは自分たちの時代感覚や給料ベースでしか語っていないから、結局は俺たちにすると「なんで」という言葉にしかならない。

 

お金や根気を出す以前に、俺たちにはそのベースとなる「技術」や「資本」となるものがまったくないのだ。

 

それがあれば少しは根気なりお金なりだせるかもしれないが、上の世代が資本や技術を自分たちで食いつぶし、下の人たちに残そうしていない中で、俺たちはどうやって上の世代を敬ったり介護したりできるというのだろうか。

 

以前、衰退した林業に挑戦する若者の姿を描いた映画でも「すべての木を取ったら、次の奴らが食えなくなる」みたいな話をしていたのに。

 

しかし残念ながら、往々にして今プラットホームに立っている人たちは、自分たちがお金を支払えば他人の時間を食い散らかしてもいいと思っているのだと思う。

 

俺には目の前にいる人たちはまさにゾンビで、人の肉を食いちぎってのさばっているように見えなくもない。

 

俺には今の世界は、子噛み孫食うような世界でしかなかった。

 

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