ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

僕たちはネズミと同じである~「新世界より」を読んで思ったこと~

1 先日、私の記事をご紹介いただきました。本当にありがとうございます。 

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www.glocallife.net

 

先日、こちらのブログ主さまにて私の記事をご紹介いただきました。本当にありがとうございます。私としても、映像を見るのが苦手な人の意見はとても貴重なので、参考になりました。

 

ちなみに、ご紹介いただいたのはこちら。

↓↓↓

ryuuraita.hatenablog.com

 

さてさて、今回は映画ではなくて漫画(小説)を元に話をしていこうと思います。

 

僕は仕事で、漫画を紹介するような仕事にも携わっています。その中で「新世界より」という、貴志祐介氏によって書かれた小説を元に、コミカラズされた本を執筆することに。

 

原作はちょこっとだけしか知らなかったので、漫画を読むのは個人的に楽しかったです。で、その中で出てくる「バケネズミ」という存在がいるのですが。このバケネズミをコミカラズするに当たって「かなり力を入れたな~」と個人的には思ったりしながら読みました。でも、それ以上に「僕たちはネズミと何も変わらないなぁ」と、同時に思ったりもしました。

 

2 人はネットにて広い世界を手に入れていない

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headlines.yahoo.co.jp

 

もうすでに過去のことのようになっているが、アイドルが20か所も刺されてしまうニュースが飛び込んできた。刺された箇所から異常性はうかがえるし、何があったかなんて推測するつもりはない。ただ、僕が言及したいのは「ネズミと同じ」と言う点である。

 

新世界より」にて 出てくるバケネズミは、とある方法にて人間と同じように言語を理解し、二足歩行にて生活している。そして、ネズミの習性はそのままに集団にて生活を保っている。この集団には「女王」が存在し、その王の元で繁栄している。

 

僕はこの部分を漫画で読んで、別に人間も変わっていないと感じた。言語を使おうと使わないであろうと、同じ「集団」で暮らしている点は同じである。その広さや言語による集団の棲み分けが違うだけで、やっていることは何も変わらない。

 

「女王」を「言語」に変えても同じだし、「国」に変えてもいい。僕たち人間は、何かに属して生きているわけである。それにいい・悪いのどちらも感じながら、僕たちは生きているわけである。

 

でも、ネットでは少々理屈が違ってくる。ネットでは割と自由に所属先を選択できる。自分が居心地のいい場所にて会話をし、意見を述べる。よく掲示板などを見る人は感覚的に分かると思うが、1つの事案でも全く正反対の掲示板が存在することは多々あることです(昨年の安保法案はいい例だと思う)。

 

じゃあ、ネットを中心に物事を測るようになるとどうなってしまうのか。その1つの居場所が自分のよりどころとなり、ほかの意見に対する抵抗力が弱くなってしまうと僕は思う。自分の意見ばかり立てる人の環境は、あまりいいとは思っていない。むしろ、混合玉石の状態に身を置くほうが、バランス感覚は付いてくると僕自身は信じている。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

決定的だったのは、ツイッターのブロックだと思います。加害者はその前に「なぜブロックしないのか」という内容の書き込みをしています。あれは、「ブロックされたくない」という心理のあらわれでしょう。ブロックされるのが恐いんです。ところが、本当にブロックされて、絶望的になったんだと思います。

 

これ以上は部外者だから何も言えないけれど、この記事やアイドルの案件から言えることは、ネットと言う何も介在しない場所でも、僕たちはいつの間にか何かに「所属」しようとしている点である。

 

加害者の男性は、アイドルに対して自分の所属できる場所を抱いていたのかもしれない。でも、唯一所属できるかもしれない場所=世界への経路を閉ざされた気持ちになったのではないかと、記事やニュースを見て僕は思ってしまった。誰にも相談できず、ただひたすらに「つながりたい」という欲望だけが……。

 

想像でしかないので言及しないが、僕たちは何かに所属したり認められることに躍起なのである。この「認められる」という点では、むしろネズミを凌いでいるかもしれない。

 

3 やたらと「つながること」はいいことか

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zasshi.news.yahoo.co.jp

 

リスクを回避するために、たとえば自分の本を出版した際にも、サイン会や握手会といったイベントの類いのものは一切やっていません。誰だからわからない人と接触するのは、それほどまでにリスクが高いことなんです。

 

 僕はこんな性格だから、「いい」と言われたものには何か裏がないか考えてしまう。紹介している記事にもあるように、人と会うにはリスクがあるし、相手の時間も奪っている。でも、色々とフリーになっている現代では、そうした垣根や警戒心が薄れているのも事実な気がする。

 

たとえばだけど、僕もネットにて「仕事のことで会いましょう」と急に言われたことがある。僕はその人と会うことになったのだけれど、時間にルーズで約束の時間通りにやってこなかった。僕は「なにかあったのですか」と聞いたけれど、別に用事はなかったらしい。

 

その日、彼が僕にした話と言えば、ネットビジネスの押し売りだった。僕はその間仕事もできず、ずっと彼の話を聞くだけで終わってしまった。事前に何のことかもっと聞けばよかったのだけれど、僕にとっては損害以外の何物でもなかった。彼は何も悪びれる感じもなく、断わったぼくを石でも見るかのように去ってしまった。

 

簡単に個人へアポを取れる環境は、大きなビジネスチャンスを生むことに違いない。また、彼にとっては新たな同志を見つける大きなチャンスだっただろう。でも、その思い込みが個人の「なにか」を奪うのだ。

 

今回のアイドルの件や個人的に感じる部分を含め、ネット環境によって「つながる」ことを見直す時期がやってきている。そんな気がしてならない。

 

4 さいごに

 

 

新世界より」にもあったように、既成概念にとらわれた種族や人類は、衰退の一途を辿っている。同じように、高い文明を扱いきれず邁進し続ける種族も衰退する。結局はこのどちらかを繰り返すしかないのかと思うと、僕は少々辟易としてしまう。

 

このやり取りは「バブル世代」と「ゆとり世代」と全く同じ構図であるように感じる。どちらかが「オヤジだから」と言えば、またどちらかが「これだからゆとりは」と言ってしまう。これと同じである。

 

ネットという道具は非常に便利である。ただ、一歩間違えば簡単に「ネズミ」と同じような生活になってしまう。「新世界より」という作品は、そんな怖さを伝えていたのだろうと僕は思った。

 

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