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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

久々に「小説を書こう」と思った日

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僕はどちらかと言えば、風景や情景を言葉にして執筆したいタイプである。小説しかり、脚本についてもさまざまな情報を咀嚼して吐き出す。なので、俗に言う「まとめ」サイトの記事を書くときに写真や引用を使うのは苦手で、探すぐらいなら書いた方が早い。
 
 
過去にも記事を書いたけれど、今ではさまざまな「まとめ」が生まれた。その影響で、ネットでは情報ではなくて「まとめ」の氾濫が起こり、その質は劣化の一途を辿った。ネット情報において、有効性がないにもかかわらず検索に引っかかるのも問題になる。そのため、グーグルでも検索のアルゴリズムや方法が変わりつつあるようである。
 
 
僕としても、何か検索を掛けてやたら「まとめ」サイトが出るのは面倒に感じていた。その点にかんしては歓迎すべきところだと思う。そもそも、SEOだけ考えられた文章は面白みに欠ける。
 
 
こちらの記事でも言及しているように、記事を見たときの「おもしろい」がないと意味がない。その有用性を見出せないのに、検索にまとめサイトばかり引っかかるのは釈然としなかったので、僕としては記事検索のあり方の変更はオッケーだと思っている。
 

ラジオとテレビ

 
僕が文章を書くとき大事にしたいのは、映像や写真で語りきれない「見れない部分」を文字化することである。見えない部分を文字化することが主張となり、新たな価値観になると僕は信じている。ネットの情報としては落第なのかもしれない。でも、そんな簡単に「情報」って手に入るものだろうか。
 
たとえば、ラジオとテレビである洗剤のCMが流れたとする。
 
テレビは映像と共に音もあり、伝える情報はたくさんある。これに対して、ラジオは音だけで伝える情報は少ない。
しかし、「伝わる」情報はラジオのほうが多い。ラジオは音に集中するので、聴く側は音以上に情報を得ようとする。このように考えると、ネット上に転がる「あたえる」予定の情報は、本当の意味で人に伝わっていないのではないだろうか。
 

小説という物語の可能性

 
最近は書けていないが、僕は映画が大好きである。この映画を観るとき、僕は「この映像はどのような文章で表現できるだろう」と考える。反対に「この映像は、どんな脚本の元で作られているのだろうか」とも考える。映画は文章になっている物語のひとつの解答であり、そのコンテクストを読み解くことに楽しみがある(もちろん、素直に俳優や女優見たさにみることもある)
コンテクストは映像にも文字にもならない部分である。しかし、その「見えない」部分を考えることが情報となって、人に伝えたいという動作になるのではないだろうか。
 
小説においても同じことが言えるのではないだろうか。小説においめ風景や人の動作が描かれるのは、その読み手の経験や知識を借りて脳内に映像を一緒に作り上げるからである。
 
小説の中にある物語には、もちろん筆者の主張や書いてあるストーリーラインは同じものがあるだろう。しかし、読む人の数だけその解釈や受け取り方は変わってくる。その自分の中に生まれる「意見」がぶつかること。人の間を伝達することで、はじめて情報となるのだろう。
 
僕は最近、ウェブ上でしか小説を書いていなかった。でも、今こそ本格的に小説を書いてみるのもいいかも。このネット上の情報を見ていて、そのように思った。
 
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