ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

僕が傾倒する作家

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ここ最近、妙にブログで書くネタがヘイト気味というか、ちょっと荒々しい気がした。自由に書く分には問題ないと思うけれど、やはり読んでもらって「価値がある」と思っていただくものは提供すべきだと思っている。僕のこの発想というか、書くことで迷った時に指針となるのは、いつも「村上龍」氏である。

 

春樹じゃないです、龍です

 

村上龍」という名前を言えば、多くの人が「春樹じゃないの?」と答える。春樹氏は芥川賞を受賞しておらず、村上龍氏のほうは受賞しているのに、この差は何だと思ったりするのだけれど。兎にも角にも、賞の有無にかかわらず、僕は村上龍氏の考えや文章が好きだ。

 

村上龍は青少年のドラッグとダークな部分、さらに生き抜くことへの希望を描いた「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞し、その後も世の中で生まれた社会問題を軸に「コインロッカーベイビー」や「希望の国エクソダス」などの作品が有名かと思う。個人的には映画と共に物語が進む「映画的小説集」も好きだ。でも、はじめから村上龍が好きだったわけではない。村上龍を好きになったのは、僕が師匠と読んでいる人に勧められたからだ。

 

僕が大学4回生のとき、リーマンショックの煽りを受けて職なんてない時期だった。就職先も決まらず、僕はとあるカフェのマスターの元ばかり行っていた。そのマスターは、ある雑誌の編集長を行った経歴もあるベテラン。少なからず、書くことを仕事にしたいと思っていた僕は、その人から仕事を紹介してもらおうか、とか就職口になるようなことばかり考えていた。

 

そんなとき、渡された一冊が村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だった。僕はその内容に驚いたこともあったけれど、その文章のリアリティに敬服するばかりだった。自分の目に映ったものを、まるでそのまま文章にする感覚が、僕には新鮮で、今まで読んだどの文章にも当てはまらないものがあった。

 

僕が大学4回生の頃なんて、何も考えていなかったし、ましてこのように真面目に文章を書くこともなかった。そんな僕が就活の時期になって、編集や文章にかんする仕事を目指すというのも、なんか不思議というか、ある種不気味なことなんだと思った。

 

よくよく考えれば、大学3回生になって、急に「就活しなきゃ」とか「あの仕事に就きたい」というのも、よく考えればおかしいことなんかもしれない。今になってみれば思い付きのようなものだし、それでご飯を食べていくことを想像するのは、まるで雲の上を歩くことと同じぐらい、危なっかしいというか不可能に近いことなんだと思う。

 

 

就活や職を考えるときでも、軸になってくるのは将来のことだろう。でも、今の時代だと自分が就いている職がずっと続くかなんてわからないし、自分が本当に面接やたった3か月や半年程度仕事のことを調べただけで、本当にその仕事ができるかどうかなんてわからない。わかるはずもないし、企業側だってわかったつもりの学生なんてほしいとは思わないと思う。

 

必然性の有無

 

村上龍の作品は、他の芥川賞受賞作品と比べると、文学性という点で毛色が違うと思う。しかし、その圧倒的な筆力と取材力、そして生きることへの根源的な考えは彼にしかないものだ。

 

 

 彼は今でも闘うことを止めていない。僕としても、本当に自分たちが幸せだと思う環境を作り上げるまでは、この手を止めることはできないのだと思う。村上龍氏と同じ立場だなんて、恐れ多くて言えるわけないけれど、少なくとも、村上龍氏が発信し続けたことを僕なりの形に変換して闘いたい。

 

では、僕が書くときに、なぜ矛先が「オジさん」に向いてしまうのか。

 

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もちろん、僕だってオジさんを敵にしたいわけではない。ただ、僕たちの時代とオジさんが築き上げた時代には違いがあり過ぎる。ならば、僕たちが新たな形や時代を形成し直す時期に来ているのではないだろうか。もちろん、すべてを否定するわけではなくて、自分たちの「笑い声」を届けるために書くことが必要なんだと思う。

 

 

 僕は好きで物書きをしているわけではない。よく「したいことを仕事にしていますね」と言われるけれど、どちらかと言えば自分に「できることでご飯を食べたいから書いている」というほうが正しい気がする。だから、自分からライターとか作家なんて名乗りたくない節もあるけれど、名前がないのも不便だから名乗っている感じである。

 

僕としても、ただ「つらいね」や「しんどいね」を文章にするつもりはない。もっと自分たちは「ここにいるんだよ」とか「こんな価値観だから生きていられるんだ」という、人の根源的なものを書いていきたい。それが僕の持ち合わせる、伝える必要性と価値を備える情報だと信じている。

 

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