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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

城南模型を訪れて~地元老舗店の最後と歴史に立ち会う〜

エッセイ・随筆

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2月の頭、僕は京都にある「城南模型」という場所にやってきていた。僕が住む愛媛から4時間ほど掛かる場所に、やってきていた。

 

城南模型さんと出会ったのは、僕が運営する「プラモデル推進委員会」というフェイスブックページにメールをいただいたのがきっかけだった。そのメールには

 

「父から引き継いだ模型店をたたむつもりだけど、常連さんに支えてもらい、お店を先代から継いでがんばっているお店を教えてほしい」

 

とのことだった。さっそく模型店「城南模型」を調べてみると、ほぼ休業状態となっている様子だった。お店は昭和39年から続いていた老舗も老舗。そのようなお店の店主からメールをいただいたとなれば、僕は直接会わずにはいられなかった。僕はメールをいただいた日に京都行きを決めて、店主にも了承を得ることができた。

 

いざ「城南模型」の前に立ってみると、昔ながらの家屋で駄菓子屋を彷彿とさせるような佇まいだった。木製の引き戸で、開けようとするたびにギリギリと歴史を感じさせる音が響く。京都という古都の街並みには、非常にマッチしている音だなと思った。

 

お店の中からは、父からお店を引き継いだ現店主の方が出てきた。父の娘さんが引き継いでいて、今は母の介護をしながら店を開けているそうだった。仕事や私事の都合もあって、どうやら僕みたいに「開けてほしい」という事前の連絡がほしいとのこと。

 

店内に入ると、棚いっぱいに模型が積まれており、積めないものは床に置いてある状態。至る所に模型があるというのは、やはり模型好きにとってはたまらない空間である。塗料剤や年季の入ったデカールシールもいまだに残っていた。

大半の模型は、お店をたたむ準備段階で常連さんによって買い尽くされたとのことだった。それでも店を埋め尽くすほどに残っているのだから、前店主の模型に対する想いが垣間見える。模型は店内の中に所狭しと並んでいるのだが、奥の部屋にまだ残っているものもあるらしい。

 

歴史ある模型店空間を堪能していると、前店主さんの写真が飾ってあった。1枚は娘さんと奥さまで遺影を持って店内で撮った写真。もう1枚は、「城南模型のおっちゃん」として最後まで店に立っていた頃の写真だと紹介してくれた。柔和な笑顔の似合う、下町にいる気の優しそうな男性だった。

 

先代の店主「城南模型のおっちゃん」は、国鉄に勤めていた模型好きのひとり。模型好きの定めなのか、集めだしたものはコレクションしないと気が済まないところがある。「城南模型のおっちゃん」もその1人で、在庫は必ずすべて取り揃えていた。ほかのお店にない商品でも、城南模型に行けば必ず売っている。子どもや常連さんの期待を裏切らないそのスタンスが、亡くなった後でも慕われる理由である。

 

模型店の品揃えだけでなく、「城南模型のおっちゃん」と呼ばれるほど地元のちょっとした有名人でもあったそうだ。国鉄に勤めていた経歴もあって、鉄道模型のことならなんでも答えられた。その知識量は、当時は子どもの羨望の対象にもなっていた。記憶力もよくて、計算がとても早かったとか。年を重ねてもその力は衰えず、そのお陰もあって最後まで模型店を切り盛りしていたそうだ。

 

模型店の店主として十分なスキルを持っていただけでなく、「城南模型のおっちゃん」という個性が人を引き寄せていた。お喋りが好きで、いつも輪の中心に立って注目されたり褒められたりするのが大好きな人だったとか。ちょっと口の悪いところがあって、お客さんと言い合いになることもあった。けれど、それは「城南模型のおっちゃん」が真っ向から人を見て本音で話している証でもあった。

 

ただ自己主張が激しいわけではなくて、親身になってお客さんの話を聞いてあげたり、少しでも値引きしてあげたりする心優しい人でもあった。面倒見がよく、就職に困っている若いお客さんの相談に乗ることも多かったようだ。家庭で寂しい思いをしている人が城南模型にやってきて、模型以外の時間を過ごせる空間になっていた。

 

そんなおっちゃんと現店主さんは、合わないところもあって喧嘩が絶えなかったとか。自分の主張ばかりして、口うるさくて大声で話しまくるお父さんに対して、「その考えは間違っている」と指摘するのは現店主くらい。よく親子で言い合いになっていたそうだ。

 

いつも元気な「城南模型のおっちゃん」も大病を患ってしまい、最後のほうはお店に立てないぐらい体が弱ったそうである。それでも、頭の方はしっかりしていたこともあって営業は最後まで続けていた。当時、「城南模型のおっちゃん」にお世話になった人が訪れることも多く、お店の奥にいるおっちゃんと店内のお客さんでやり取りしたこともあったとか。その間に現店主の娘さんが立って、店を出切り盛りするのがしばらく続いたようだ。

 

喧嘩することもあった現店主さんに対して、弱ってきた「城南模型のおっちゃん」はすっかり頼りにするようになっていった。体が不自由になってからは、娘である現店主さんが一人で看護・介護したことで、「城南模型のおっちゃん」に対する嫌悪の気持ちも次第に融解していき「親孝行できてよかった」と語ってくれた。

 

現店主さんは、模型にかんする知識はなかったです。そのため、模型店を引き継いで営むことには抵抗もあったようだ。

しかし、常連さんの「お店は残してほしい」、「おっちゃんに会いたい」という熱意。

現店主さんが「城南模型のおっちゃん」の介護をすることで「父が地元の人や常連さんにどれだけ愛されているか」を垣間見ることができた。

その2つが折り重なることで、お店を残すことに踏ん切りが付いたのだと思います。

 

現店主さんが店を再び開けたとき。

「城南模型のおっちゃん」の遺影と位牌を、お客さんから見えるよう店の奥に置きました。常連さんが「城南模型のおっちゃん」に会えるように。来店された常連さんの多くは、店頭から遺影のおっちゃんを見て涙を流したようです。年齢に関係なく、泣き崩れた方も少なかったと語ってくれました。

 

現店主さんとしては、お店を完全にたたむことに迷いがあって僕にメールをくれた。それは、存続させるのでなくて「父の残したお店がこのまま消える」ことに対して、迷いがあったからではないかと僕は想像している。実際に現地へ向かい、言葉を交わし、その後も連絡を交わすことで、なぜ見ず知らずの僕にメールを送ってきたのか。その事情を、僕はもっと深く考えるべきだったのかもしれない。

 

「城南模型の店内は空っぽになりますが、その前にお越しいただけて本当によかったです」

 

現店主さんは、僕にこのようなメッセージを送ってくれた。「城南模型のおっちゃん」が残したものを最後まで誰かに伝えたい。急きょ「行きます」なんて言った僕のことを承諾してくれたのも、そのような気持ちから起こったのかもしれない。僕にできることは、現店主である娘さんから聞いた「城南模型」の話をできるだけ正確に伝えること。それしかできないけれど、せめて残して伝えていこうと僕は思う。

 

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