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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

国民の休日に思うこと

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今日が国民の休日だったことを、僕は外に出てから気付いた。家で仕事をする気にもなれず、本も見たかっただけ。それが外出理由になったのだけれど、僕にとってはそれだけで十分だった。

 

僕は、専門書を取り扱う大型チェーン店にて用事を済ませて、これまた全国にあるチェーンカフェ店に足を運んだ。この場所でも休日であったことを忘れていて、店内はごった返すように人であふれていた。いつもなら窓側の座席1つ空きしているのだが、今日はパンパン。丸いテーブル席をくっ付けてファミレスのように使うお客さんもいて、ちょっとゲンナリした僕はテラス席で仕事をすることにした。休日のカフェは、カフェとは思えないほどうるさくて、結局1時間もいないままその場を立ち去ることになった。

 

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帰り道、僕はたまたま「坊ちゃん列車」を見ることができた。休日のためか乗客も多くて、道行く人が列車にスマホを向けていた。

 

その道行く人の中に、まだ幼稚園に入る前ぐらいの子供がいた。その子どもは列車に向かって手を振り、また乗客や運転手も子どもに向かって手を振り返していた。カフェでの喧騒が嘘のようで、思わずそのシーンに見入っていた。

 

僕はこうして何気ない日常をインターネットにて刻んでいるけれど、この情報に一体なんの価値があるのだろうか。おそらく、往々にして意味なんてない。意味なんてないけれど、休日のカフェのような手狭さはないと感じる。緩慢とした日々を見たかったり、この坊っちゃん列車にかんするエピソードを何気なく見たい人だっているのではないだろうか。

 

僕は先日、昨今のまとめサイトにて思うことを綴ってみた。

ryuuraita.hatenablog.com

 

別に広告でお金を稼ぐことが悪いと言いたいわけではなく、まとめサイトが悪いと言いたいわけでもない。ただ、世の中が「まとめサイトしかない」と、真似事のようにまとめサイトを乱立する行為と、休日にこぞって「カフェに行くしかない」という行為は何とも日本人的過ぎて、ちょっとブルーな気分になってしまっただけなのだ。

 

坊っちゃん列車を見ている人たち」という情報なんて、別に誰かの承認欲求やベネフィットを満たすようなものではない。でも、心のどこかにあるちょっとした隙間や寂しさ、もしくは誰かの小さいころの思い出を刺激できると、僕としてもうれしい。僕のちょっとした記事が、誰かの日常が、この記事を読んだ人の心の中にある「思い出」を喚起してエピソードを構築してもらえる。それだって情報、もとい物語の力なのではないかなって、僕は信じています。