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ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

どのパターンでも「中流」は脆い

エッセイ・随筆

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今日はちょっとした打ち合わせで、自分で事業を立ち上げているA氏の話を聞いた。僕の住んでいる地元では珍しい仕事で(本人の意向も含めて情報は伏せます)、そのきっかけには「会社の上司と意見が合わなかった」とのことだった。

 
事業を立ち上げた人は、上司に対して新しい企画を提案したことがあった。その案は会社にとって有益であることはわかっていて、社長に直談判して了承も得ていたようである。しかし、直属の上司からGoサインが出なかった。そのために、A氏が考えた企画案はポシャって日の目を見ることはなかった。このとき、A氏は会社のぜい弱な部分が嫌になり、自分で事業展開することを決めたようである。
 
これはよくある話で、なんとも卑近過ぎて、別に取り立てて騒ぐようなものじゃない。でも、常態化しているのだ。社長がオッケーと言っても中流階級によって計画が頓挫する。日本政府がモデルにして指標としている、サラリーマンが働いて妻が家を守り、子どもが2人いるような中流階級。そんな中流階級に、僕たちは会社の事業計画だけでなくて未来も喰われている。
 
中流、中庸、平均、ベーシック、普通。
 
これらの言葉は非常に心地がいいし、みんな求めているものだ。でも、この「普通」が今の時代では遠くて、みんな「普通」にさえなれない時代になっている。そんなものが、僕は「普通」なんて思えない。
 
もっと言えば、普通なんて他人が定義したり与えてもらうもんやないやろ。自分たちで作り上げるのが「普通」なんじゃなかろうか。でも、政府などが定義する「中流階級」が今でも幅を利かせて、我が物顔で世間を歩いている。未来を考えている人の企画を潰して、自分たちの地位にしがみつく中流階級に僕たちは未来を奪われている。そんな気がしてならない。
 
荻原浩さんの小説に「神様からひと言」というものがある。この小説の一節にも、会社の専務(だったはず)と社員が企画について言い合うシーンがある。専務となれば中流階級でもないけれど、会社の「お客様は神様」を信条として他の社員の意見を跳ね除ける。こんなシーンを見てしまうと、やはり会議なんて形骸化しているなぁと思ってしまった。
それと同時に、そんな時代遅れの上司について行かざる得ないなんて、まるで地獄へのツアーだなとも思ってしまう。
 
A氏は会社を辞めて事業を立ち上げて、非常に幸せを噛み締めているとのことだった。大手企業だったのだけれど、自分でやりたい仕事をしているほうが性にあっていると語ってくれた。
中流階級のパレードはいつまで続くんだろうか。パレードなんて、いつかは終わらないといけないのに。