ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

問題は不登校になる「子ども」じゃない

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不登校の人が6.5万人になったようです。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

ども、リュウ・ライタです。今日はこんなニュースから。

ヤフーニュースにあったのですが、2014年度の新規不登校生が6万人を越えたようです。すでに不登校生は12万人を越えており、この半数は以前から不登校になっていたことがわかります。

結論から言いますけれど、

問題は不登校生側じゃないやろ!

このヤフー記事にも「未然に防ぐ対策」とか「施設が必要」とか言いますけれど、施設を用意しても「不登校が通う施設」という認識が生まれるだけだし、未然に防げるのであればすでに問題は解決しているというか……。それとも、何か訓示を垂れればみんなが「いじめなん悪いことだ」と意識が変わるのでしょうか。僕はむしろ、傷を引っ掻いて悪化するだけのように思います。

 

法務省のとあるマンガに思う「日本の正義」

 

以前、僕はツイッターにてこのような記事を発見しました。

 

www.moj.go.jp

 

 

法務省が出しているマンガの1ぺージなのですが、僕は妙なものを感じました。いじめをしている人に対して、クラスが一丸となっていじめっ子を取り囲む。……いやいや、それは「いじめ」と変わらんやろ。

僕は以前、多数決の欠陥にかんする記事も書いています。

 

ryuuraita.hatenablog.com

 

 

多数決とは、人の総意ではなくて「効率のいい方法を取捨選択する方策」のひとつです。決して平等な意思決定とは言えないし、多数派となった人たちは恣意的に自分たちの都合に働くようにコントロールします。

この法務省が示したマンガでもわかるように、結局は正義の在り方が変わっただけです。「多数派が正義」という刷り込みが行われただけ。
もちろん、いじめは言いものではありません。しかし、このマンガで描かれている方法では、いじめは消えません。むしろ、新たないじめを生むだけです。

彼は先生やクラスのみんなが同意していなかった場合も、「いじめはダメだ」と言えたのでしょうか?その点が気になります。

本当に倫理的な人間というのは、自分が正しいと考えるのなら、周囲の意見がどうであれ、それを貫く人間だとぼくは考えています。これは危険な考え方でもありますが、変わりやすく曖昧な「社会」に善悪感覚を委ねるよりは、よほど安全性は高いと思います。

同調圧力でいじめを解決?法務省のマンガ「みんなでいじめをなくそう」に抱く違和感(イケダハヤト)

 別の記事でも書かれているのですが「いじめを止めようとした生徒は、みんなが味方にならなくても主張を通せたのか」という点。僕はできないと思います。聖人ぶるような人っていませんか? 常に正しいことを言う人。そのような人の周りに、人っていますか? おそらく、孤独な人だと思います。

マンガではみんなが「正しい」ほうにくっ付いていますけれど、世の中こんなに簡単にはいかないですよ。残念ながら。むしろ煙たがられて、いじめを注意した人もいじめられることでしょう。

 

同じ空間にいることを許容する学校

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現代でも学校によるいじめは問題になっています。時代が進めば進むほど、いじめが問題になっています。あと、これは個人的な感覚なんですけれど、今の20代~30代の人は精神的に病んで精神科に通う人が多くなっている気がします。僕が知っているだけでも4、5人はいるでしょうか。

このような事実を受けて、50代以上の人は「根性が足りない」とか「自分にも悪いところがあった」と責めることがあります。しかし、それは使い古された道徳観や精神論でしかないです。

学校という空間は、同じ空間に30~40人の人間が半日の生活を共有します。その中で集団行動や自律が促されると言われていますが、果たしてどうなのでしょうか。

昔の家庭ならば、家庭環境にそこまでの違いがなく同じような生活リズムの人が多かったかもしれません。今では仕事も多様化しており、生活リズムや家庭事情も刻々と変化しています。その環境下で「みんな一緒」というのは、少し理想論過ぎるかと思います。

さきほどのマンガから考えても、まだまだ日本では「みんな一緒」というのが理想として根付いているようです。「みんな一緒」という価値観が根付いていると、やはり「自分と他人は違う」とは思いづらいし、判断の中に「相手と自分は違う」という発想さえ生まれないかと思います。

 

そもそも、むやみに「いじめ」なんて触れるものじゃない

 

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よくよく考えると、日本では自分たちと違う人間を忌み嫌う性質があります(日本でなくても、か……)。そのような人たちが、自分から異質な存在に対して進んで触れようとしたかと言えば、それは不自然な気がします。

代わって現代では「いじめはよくない」とか「悪口はいけない」などいじめにかんする問題に勝手に関与させられます。自分が意識していなくても、何も考えていない状況で「いじめはよくない」と刷り込まれます。

この段階で、子どもは「いじめとは何か」を知ることになります。

 自分の知らないことを知った子どもが何をするか。子育てや子どもに触れあったことのある人ならばわかるかと思います。子どもでなくても、何か新しいことを知ったり手に入れた人間は、それを試したくてウズウズします。その善悪にかからわず、試さずにはいられないんです。

僕としては、今必死にいじめ撲滅のキャンペーンを貼っているのは、むしろ逆効果のように思えてならないんです。いじめなんてものは化け物や幽霊の類と同じで、自分からむやみに関わるものではないと思うんです。

子どもは、ドラマや大人の言動をマネします。いま、子どもにいじめのことにかんして色々と発信することは逆効果にしか思えないんです。

 

では、どうすれば?

 

僕としては、学校という組織に無理が来ていると思わざるを得ません。仕事や生活環境によって人の生き方は変わります。大人の生活環境が変わるのならば、子どもだって影響を受けて生活が変わります。さきほども言ったように、子どもはドラマや大人を見て成長します。大人の生活が変われば、子どもだって変わります。

ならば、その環境を受け入れるだけの場所に学校だって変わらないといけません。少しずつですが、目に見えないぐらい少しずつ労働環境が変わるように、学校だって変わっていくべきです。

いじめにあう・あわないの問題ではないです。もちろん、子どもだけの責任ではないです。学校という「無理な集団」へと矯正する場所があるからこそ、いじめは弊害として起こっていると思います。

いつまでも組体操や入学試験に捉われている場合ではないと思いますよ、学校は。むしろ、学校なんて止めて自宅学習の自由を取り入れるぐらいの気概がないと、いじめなんて無くならないと僕は思いますね。