ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

「貝木さん」をご存じですか?~性悪説と偽物の価値について~

詐欺師の貝木さん

 

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http://elbowroom.web.fc2.com/2013/10/revue/monogatari-series26.html

 

いきなりすみません、リュウ・ライタです笑
僕は映画をよく見ますけれど、それと同じぐらいアニメやドラマも観ます(ドラマの数は、かなり減っていますけれど)

 

この「化物語」は大学時代に「めちゃおもろいで」と友人に勧められて観始めて、アニメは素直におもしろいなぁと思いました。原作は、あまり読み進めようとはならなかったのですが、アニメは見ちゃいましたね。「偽物語」や映画になっているのを除いて、概ねすべて観ています(OVA的なものは、抜けているかも)

 

その中で、おそらく僕でなくとも誰もが好きになるであろう「貝木泥舟」という男。
天才的な詐欺師で、世の中の嘘に敏感で、嘘を知っているからこそ「人間臭い」人物として描かれています。

 

嘘を本当の意味で知っていて、扱える人というのは、非常に「人間臭い」人だと思いますよ。僕としては、小さいながら「物語」という仕事に携わらせていただいてる関係もあって、人間臭い人を描くときはどこか人を喰ったような人間をイメージします。人を喰っているような人は、非常に言葉巧みで、飄々としていて、人と群れるのが嫌いな人。そんなイメージです。

 

この「貝木泥舟」という男には、僕が思う「人間臭い」が詰まった人です。

世の中は嘘だらけ

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信じるな、疑え。

http://40s-animeigen.com/meigensyu/monogatari/deisyuu/3187

 
基本的に、僕の考えを占めるのは「性悪説」です。そして、貝木泥舟の根っこにも性悪説が見え隠れします。ではここで、「性悪説」がどのようなものが確認しておきましょう。
人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説。荀子 (じゅんし) が唱えた。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/120924/meaning/m0u/
荀子 上 (岩波文庫 青 208-1)

荀子 上 (岩波文庫 青 208-1)

 

 

過去に、孟子が「人は生まれながらに善であり、その善の状態から悪の状態を知る」と説きました。しかし、荀子は反対に「人は悪いのが本性だから、そうならないように努力が必要である」と説きました。

 

 

たしか、この化物語のシリーズでも、貝木は「偽物に価値がある」と説いています。その理由としても「偽物は本物になろうとする。だからこそ、偽物には価値がある」という旨を説いていました。

 

 

 先ほどの引用に使った「信じるな、疑え」にあるように、疑うことによって本物を見つけられる。別に、常に人のことを疑ってギスギスしろと言いたいわけではなくて。

 

 

端的に言うと、会社に対する全幅の信頼というものがあったとしましょう。しかし、その信頼というのはいつまで有効なのでしょうか?

 

 

僕としては、その信頼を勝ち取った後のほうが問題だと思うんです。「相手から信頼を得たらこっちのものだ」と、相手の会社が考えていたらどうしますか? もしかしたら、自分だけが相手に対して「全幅」の信頼をおいていて、実際のところ自分は「全幅」という言葉におんぶにだっことなっていただけかもしれません。

 

 

信頼や真実というのは、それが保障されることにではなくて、保障される状態を維持することのほうが、ずっと大事なのだというわけです。「信頼」という言葉は、信頼を担保できるほど優秀ではないんです。

「なった」から幸せになるわけじゃない

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俺は金が好きだ。なぜかと言えば、金は全ての代わりになるからだ。物も買える、命も買える、人も買える、人も買える、心も買える、幸せも買える、夢も買える。とても大切なもので、そしてその上で、かけがえのないものではないから好きだ。
http://40s-animeigen.com/meigensyu/monogatari/deisyuu/3198
 
この詐欺師さんは、劇中にて最後まで「詐欺師」です。この引用した台詞も、劇中の大事な場面で説かれる台詞なのです。
 
 
お金が好きだ。
 
 
ここだけ切り取ると、日本人は「うわぁ」みたいなリアクションをします。でも、彼がお金を愛する理屈が「かけがえのないものではないから好きだ」というのは、もうちょっと掘り下げてもいい案件だと思うんです。
 
 
今では仕事にかんしても「この職業が私の生きがい」であったり、「この趣味の為に生きています」的な発言が多い気がします。でも僕は、このような意見に対してずっと疑問がありました。もし、その生きがいが無くなった人は、次は何を生きがいにしていきていくのどうか、と。
 
 
「この職業が生きがい」と発言した時点で、本人には自覚がなくとも嘘にはなるわけです。この貝木という詐欺師に言わせると。
だって、もしその職業が無くなったとしても、あなたは別の生きる方法を模索するんでしょ? と、突き詰められるとぐうの音も出ないわけです。
揚げ足取りかもしれません。でも、安易に「これしか生きがいはない」なんて、本当は軽々しく口にするもんじゃないと、僕自身も思うわけです。
 
 
もちろん、世の中にはなりたいと思わないとなれない仕事だって多くあります。でも、それと同じぐらい かけがえのない、社会を支える仕事があります。そのかけがえのない仕事を見ないまま、「私にはこれしかない」なんて、言えるんでしょうか?
 
 
ライター、漫画家、監督、栄養士、事務員、サラリーマン、パート、受付嬢、講師、政治家、芸能人、スポーツマン……。
このどれもが仕事であって、職業とは仕事を具体的に表す固有名詞のひとつでしかないです。誰もサラリーマンになるために生きていないのと同じように、僕もライターになるために生きているわけじゃないんです。もちろん、ほかの職業だって同じだと思いますます。
 
 
どの職業だって同じくらい大切なものだけれど、自己表現するための「かけがえのないもの」ではないと思うんです。それは、貝木が言うところの「かけがえのないものではない」お金を得るための手段だからです。仕事を絶対的な「使命」や「宿命」とか、自己表現してくれるものとか、そんな重く捉える必要ってないはずです。
 
 
現代ではアクションを起こすときには即結果、結果、結果を求めます。でも、何かの仕事についたから、何かやったからと言って、即誰かが簡単に幸せになるわけじゃない。
仕事が人を幸せにするんじゃない。仕事の結果で生まれたものが、人を幸せにしているんです。
 
 
仕事している自分が好きで、周りにその価値観を押し付けるなら、それは一種の自己陶酔と変わらないです。生き方や仕事なんて、運命とか宿命とか、まして他人から押し付けられるものじゃない。自分でなりたいものになればいい。
 
 
仕事をしていく中で、自分がやれることをやって、個人個人がなりたいものになればいい。世の中にはたくさんの生き方や価値観があるだろうから、僕は個人の「気持ち」を問題にして仕事をしたい。運命とか他人が勝手に基準を決めるなら、自分で基準を決めて仕事をすればいいんです。
 

自らに問う=偽物を見抜く力

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 別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃないからな。幸せになれなくとも、なりたいものになれりゃいいんだし 
http://40s-animeigen.com/meigensyu/monogatari/deisyuu/1675
 
人は幸せを求めます、渇望します、強奪するように望みます。でも、この性悪説に則って考えるのであれば、「幸せ」な状態とは不明瞭になってくる気がします。
 
 
先ほどの仕事観に併せて考えれば、投票などで当選したから「政治家」だと認められるわけではないんですよ。なったあとの「なろうとする」意志の方が大事なわけです。政治家に決まってしまったからと言って胡坐を掻いていれば、当然信頼は失うわけです。
 
 
それは何事にも言えるかと思います。付き合ったから、結婚したから、書いたから、登録したから、見たから、読んだから……。挙げだすとキリがない。
貝木に言わせると、幸せを与えられて「幸せになった」と思い込んでいる人間なんて、だます価値もない人間だと思っているのでしょう。いや、そんな人ほど、どこかで騙されることを望んでいるのかもしれない。
 
 
自分が「なりたい」と思う状態を維持する気持ちのほうが大事だと思いますし、「なった」というのはある種結果論でしかないんです。本当に過程を大事にする人なら、いや、結果をきちんと大事にする人だからこそ、きちんと「なりたい」を見極めるのではないかと思うわけです。
そんな「なりたい」を維持できる姿こそが、幸せの形であるはずです。その幸せを感じには、偽物(まだ「なっていない」と自問する心)が占める役割って大きいと思うわけです。
 
(今回取り上げた「貝木泥舟」は、主に「恋物語」にて語られる「貝木泥舟」を参考にしています。)