ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

人が虚勢を張るには2パターンある

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ども、リュウ・ライタです。

いきなりですけれど、あなたはSですか、Mですか? 服のサイズじゃないですよ。性的な感覚のお話です。

ニュートラルというのは、ナシです!

僕が求めているのは事実ですし、大事なのはSなのかMなんか、ではないので。

考えましたか?

考えたのであれば、こんな経験や話を思い浮かべてください。

 

・俺は上司の命令を聞いているのではない。聞いてやっているのだ。

・ダメな彼氏を世話している私、めちゃ優しい。

 

このパターンにカッチリハマる必要はないですが、近いことってあるかと思います。

 

1パターン目は上司の命令に縛られる部下の愚痴。SかMかで言えば、受け側の立場。しかし、彼が命令を聞くことで上司の仕事が動いているのも事実。「すっぱいブドウ」のキツネのように聞こえることもありますが、別の角度から見れば「部下が動くお陰で上司は助かっている」わけです。上司は、部下という存在に縛られているのは事実。

 

もうひとつ、ダメンズに尽くす彼女。ダメンズに対して尽くす彼女は、立場からすればやってあげる側(S)でしょう。しかし、彼女もダメンズに縛られているのも事実。ダメンズでなければ、彼女の優しさは紙切れのようにどこか遠くへ飛んでいきます。

 

と、まぁ。物事なんてものは見方や立場が変わるだけで簡単に変わります。縛るもの・縛られるものも簡単に変わります。

 

それってすり替えじゃないですか?

 

そうですね、酸っぱいブドウを食べた狐のような、悲しくて何の解決も生まない抑圧でしかないかも。ただ、物事の突破口にはなると思いますよ。

 

たとえば、非常に物事を大きく見せる人がいたとしましょう。自信に満ち溢れているわけではなくて、鼻持ちならない自慢話が多いひと。いるでしょ~周りに1人や2人、職場になれば嫌と言うほど。

 

ですけれど、そういう人ほどよく見てみてください。会話や行動の所作に妙な点が見つかります。貧乏ゆすりが多かったり、汗が多かったり、人の様子を凝視していたりー

 

自分を大きく見せれば見せるほど、現実の自分とのギャップが怖いのかどこかオドオドしているものです。なので、自慢話のどこかで突っ込んだり間違った価値観をぶつけると、相手は必死に反論します。その反論を面白おかしく笑い話にすれば、胸も職場の人もスカッとなりますよ笑

 

自尊心しかないナルシストも同じ。かまってほしいから格好を付けるんです。「自分を見てみて」というSのような行為も、見方を変えれば「見てほしいからしています」というMの行動になります。誰かを変えるのは難しくても、自分が見方をちょっと変えるだけで、世界はシビアにもなれば悲しくもなるし、滑稽にも小説にもなります。

 

言葉なんて信じなくていい

 

言葉は嘘を付きます。言葉なんて人の気持ちに掛かっている看板みたいなものです。その看板に「私は正直者です」と掲げられていても、掲げた人自体が本当に正直者かどうかなんてわかりません。言葉は嘘を付きます。もう1回言いましょうか、言葉は嘘を付きます。

 

僕は言葉を生業としているためか、何となく人の言葉が誠か嘘かわかります。2面性を見るクセもあって、どれぐらいの熱量があるのかさまざな側面から分析します。

ちょっと怪しい場合(あまりに自分のことばかりや自慢話、昔話ばかりする)は、その言葉を鵜呑みにすることはほぼないです。見知っている人なら信じますが、初対面の人は6割程度で聞くことがあります。あとの4割は、自分で質問して補完します。

では、言葉を信じる上で何が一番の判断材料になるかと言えば、その言葉の丁寧さや行動が言葉になっているか。そんなところでしょうか。

 

行動が元となっている言葉には自信がありますし、きちんと気持ちがフィードバックされています。要は、行動が礎になっている言葉は、相手に伝わります。僕はそう思っていますね。じゃあ、経験していない言葉は相手に伝わらないのか。

 

もちろん、そんなことはありません。でも、自分100%で表現した言葉って、割と相手に伝わらないことはありませんか?


不思議なもので、100%の言葉って割と嘘くさいです。「愛」という文字には愛する意味があるけれど、「愛してる」と言葉にしてしまうと、どうしても嘘くさい笑


日本ならば「愛してる」というよりも「月がきれいですね」と夏目漱石ばりに返したほうが心は伝わります。そこには、相手との時間を愛おしく思っている心がフィードバックされ、「相手への気持ちを形にする」という行動が見え隠れするからでしょう。

僕は、そう信じています。