ここだけのはなし

10人見れば、10通りの解釈がある。日常にてふと思ったことを自分なりに綴ります。

【1000字コラム】人を浄化するのは人

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1.私はその日、スピリットダンスを経験した

 

本当は今日は文章教室をする予定だったのだが、

 

クライアントさんが急用ということで教室を開催することが

 

できなくなってしまった。

 

電話越しにその日の仕事は終わるかなと思っていたが、

 

そのクライアントさんは

 

「教室はできないけれど、今から僕が行くスピリットダンスに行ってみませんか?」

 

と、提案をしてくれた。

 

そのスピリットダンスを主催している人のことは知っていたし、

 

企画の名前に自然と惹かれるものがあった。

 

私は特に内容なども確認せず、クライアントさんの

 

申し出に二つ返事をした。

 

1時間後ぐらいにクライアントさんに迎えに来てもらい、

 

私たちはスピリットダンスが開かれる公民館に向かった。

 

公民館の中には筒状のスピーカーが部屋の四方に置かれていた。

 

そこから洋楽やクラシックの曲が流れており、まるで神経を

 

自然と撫でられるような気分がした。

 

主催の人からは「とにかく音を聞いて、動きたいように動いてください」

 

とだけ言わた後、スピリットダンスがはじまった。

 

参加者は主催者が音に合わせた自然な動きを見ることなく、

 

目をつぶって自分が聞いた音を頼りに、自然と手足を動かしていた。

 

私も目をつぶって音に身を任せていると、

 

不思議と手や足は動いてくれた。

 

参加者と同じ動きをしているわけではないのに、

 

その空間で一緒に踊る人たちとの不思議な一体感があった。

 

私は言いようのない心地よさに包まれ、

 

心の重石をちょっとだけだが動かせた気がした。

 

2.終わった後、私はクライアントさんに駅まで送ってもらった

 

スピリットダンスに誘ってもらったお礼を言ってから、

 

私はクライアントさんに手を振って別れを告げた。

 

その後、私は急に友人に会ってメシをしたくなった。

 

理由はわからない。

 

だが、無償に誰かに会って一緒にメシを食べたかった。

 

私は夜の22時以降でもメシを喰えそうな友達に電話をして、

 

一緒にメシを食べることになった。

 

3.人を浄化するのは人だけである

 

友人とメシを食べていて思ったが、

 

私はいつの間にか普段から抱いていた

 

不満を自然と口にしていた。

 

基本的には悪口やネガティブなことは言わないが、

 

思わず私は自分の毒を吐きまくっていた。

 

「今日はきついですね」なんて言われて、

 

私はそいつの顔を見ながらつい笑ってしまった。

 

久々に馬鹿笑いをしながら、友人の近況なども

 

話していると夜の1時を超えていた。

 

ダンスが私に何らかの変化を与えたのかどうかはわからない。

 

友人に至っては、ただ馬鹿笑いをしたに過ぎない。

 

だが、そんな細やかな事象が私にとって大事で、

 

やさぐれた心を浄化さえるのだと確信させてくれた。

 

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【1000字コラム】ドリーの悪夢

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1.人の「性質」までは変えられない

 

私は俗に言いバブル期に幼少を過ごし、

 

つつましい家庭で生まれ育った。

 

ただ生きた地域が少し田舎で、

 

何もない場所で、

 

人が身を寄せ合わせなければ

 

生きづらい地域だっただけである。

 

それ以外には概ね不満は別になかったし、

 

今の時代でよく言われる毒親やモンスターペアレント的な

 

親ではなかったと私は思っている。

 

どんな親に育てられたというのは非常に

 

重要なファクターになってくるとは思うが、

 

それが人生のすべてになるとは到底思えない。

 

その親によってどれだけ閉鎖的な世界を

 

提供されてしまったかどうかによって

 

人の性格には大きな影響を与えるだろうが、

 

人が本来持つ「性質」まで変えるには至らないだろう。

 

2.人の経験は人のものである

 

今では育児の方法や子どもの育て方がわからない人が多いようで、

 

不幸な子どもが増えているというニュースや記事を見かけることがある。

 

確かに、どう考えても子どもの人権が蹂躙されており、生命の危機や

 

今後の社会生活に大きな影響を及ぼす育児や教育がされていることは、

 

やはり私でも感じてしまう。

 

しかし、あまりに外野が他者の教育に口を出す権利が

 

どこまであるのだろうかというのも、同時に

 

思ってしまう訳である。

 

どれだけ自分が正しいと思っている価値観であったとしても、

 

それが他者にとってはまったく了見違いのものであることは

 

多々あることである。

 

日本国内で考えても、兄弟がいることを羨む人と

 

忌み嫌う人がいるのと同じで、環境や境遇が変われば

 

そこに対する意見もまったく変わるわけである。

 

ならば、単純に子どもの人数が一体何人がいいのかなんて、

 

誰に決定することができるのだろうかという問題である。

 

もちろん、経済的な理由をはじめ外因的なものはたくさんあるが、

 

その解答を見つけるのは結局自分自身と、どれだけ

 

その答えを見つけるまでに自分が動けるのかと私は思ったりする。

 

3.情報は移動してこそ価値があり、磨かれる

 

 

 

村上龍の言葉に

 

「移動こそ価値がある」

 

というものがある。

 

遺伝子レベルで考えても、世代を

 

超えるということはそれだけ

 

遺伝子という情報が未来へ移動することになる。

 

時代ごとに合う情報や活用法があり、

 

時代ごとの生き方や価値観がある。

 

だから、過去の人間が未来の人間に対して

 

助言をすることや築き上げたベースを渡すことはできるが、

 

それを使用するもしないも移動者が決めることである。

 

人は1人で生まれて、1人で死んでいく宿命にある。

 

しかし、今の私たちはその生きる権利も死んでいく権利さえ、

 

誰かの手に委ねて楽をしようとしているように見えることがある。

 

私たちに眠る性質や遺伝子はわかることがない。

 

わからないまま選択肢ばかりが増えていく中で、

 

一定のレールに乗ることを強いられている。

 

だからこそ、現代人は今の社会に息苦しさを

 

覚えているのかもしれない。

 

もし、自分が持つ性質や遺伝子がわからないならば、

 

自分の足で環境をごっそりと変えてしまい、

 

その中でも自立を保てるだけの「性質」にピンとくる

 

体験をせざるを得ない時代になっているのかもしれないと、

 

私は思ってしまうわけである。

 

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【1000字コラム】群れることの無意味さ

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1・群れるのが嫌いである

 

先日、私はとある人の元へ営業に行っていた。

 

その人は地方都市では珍しく、群れることに

 

抵抗を覚えている人だった。

 

私は職業柄ということもあるし、本質的に

 

群れることが嫌いな人間なので、営業の話

 

そっちのけで一匹狼談議に花が咲く形となった。

 

別に一匹狼賛歌を歌うつもりはない。

 

しかし、私は今の時代に派閥や何かの組織に

 

属しているということが、一体何の価値を

 

生み出すのかというのがよくわからないのである。

 

2・チームは必要だけど、同じ思想を共有するだけの仲間はいらない

 

日本は100年以上の老舗が数多く存在する

 

社会として、世界の中では割と長寿会社が

 

多く残る社会として知られている。

 

しかし、その実は身内経営や自分の顧客を

 

守ると言った、ネガティブというか

 

後ろ向きなというか「その地元の輪」の中で

 

残ってきた老舗店というほうが数多く残っている感がある。

 

では、現代においてこうした老舗店が残っていることに

 

価値があるかと言えば、私の場合はあまり

 

価値は残っておらず、そのシステムのほとんどが

 

形骸化した「文化財」として国の庇護を受けているのが

 

大半なのではないかと思ってしまうわけである。

 

別に私としては、過去の偉業や今で粛々と語り継がれてきた

 

文化財を全否定するつもりはない。

 

その技術を受け継ぐことで歴史や文化が守られるのだから、

 

当然すべきことではあると思う。

 

ただ、それが「庇護」や「守る」だけの対象でいいのだろうか、

 

という部分が大事な訳である。

 

3・攻める時代を迎えた日本

 

今ではあらゆるサービスや商品が瞬時にやりとりされる時代となり、

 

その規模や市場範囲は日本だけではなくて世界を見据える

 

必要性に迫られている。

 

私が東京に向かったときは、その外人の数に

 

ただ圧倒されてしまうばかりだった。

 

そんな時代に、日本の文化や財産を日本だけで守っていくことに

 

意味があるのだろうか。

 

私はそこに対して、あまり意味がないと感じざるを得ないのである。

 

その文化財が日本人にとっては当たり前過ぎてどうでもいいものでも、

 

その文化に触れたことがない外国人には真新しいものだったりするのである。

 

ならば、ただ守るだけでなく「知ってもらう」チャンスや

 

売り出す環境はもっと作るべきなのではないだろうか。

 

どうしても、私はそう思わざるを得ないのである。

 

4・日本が刀を再び握るのはいつになる

 

私のこうした意見に対して、とある知人は

 

「日本は無理にグローバルになる必要はないよ」

 

という意見も聞いたことがある。

 

それは歴史が証明しているように、日本は

 

過去に100年あまり鎖国を成功させている。

 

自国だけでも成立できる環境や自然が、

 

確かにあるのはあるわけである。

 

しかし、現代でそれをしてしまうと、

 

あらゆる技術を手放すことになるのではないかという

 

危惧も、同時に頭をよぎってしまう訳である。

 

私としても今以上の技術革新が果たして必要かと言われると、

 

正直いらないとは思ってしまう。

 

しかし、わざわざ時代を逆行する道を取るぐらいならば、

 

日本の文化を「守る」対象から「攻める」武器へと

 

変えていく英断は必要なのではないかと、素人ながら私などは思っている。

 

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【1000字コラム】「耐えられない存在の軽さ」というタイトル

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1・印象に残るセリフ

 

有名な映画に「耐えられない存在の軽さ」というものがある。

 

こちらは原作が存在する映画になっているが、あまり映画の

 

内容は覚えていない。

 

しかし、印象的なセリフがある。

 

不倫関係にある男性に対して女性が

 

「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」

 

というセリフは非常に印象的である。

 

本当はただの不倫関係だけでなく、

 

当時の冷戦などの状況を踏まえた映画になっており、

 

このような事情をより深く理解していると

 

面白い映画になっているのではないかと思います。

 

2・自己主張すればするほど薄まる

 

「耐えられない存在の軽さ」の中に登場する、

 

私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」という

 

台詞であるが、なぜこんなにも台詞だけが心に残っているのか。

 

それは、現代の自分の存在を誇示することに必死な

 

姿を見ているからのように僕は感じてしまう。

 

今では自分から情報や感情を発信するのが当たり前の時代になっており、

 

そうした発信力がないと生き残れない風潮がある。

 

それは事実かもしれないが、1億弱の人口が発信する

 

読まれない呟きや投稿も発生しており、いわば形のない

 

ゴミがネットの海には漂っていることになる。

 

これらは誰かにとっては救いになったり、

 

なんらかのアイデアの元になる可能性はあるが、

 

ゴミの数があり過ぎて砂の中からビーズを探すかのような

 

徒労を覚えることがある。

 

3・発信=自傷行為

 

これだけ情報がたくさんあるということは、

 

自分がどれだけ熱意を持った意見をネット上で

 

投げかけてみたとしても、それは誰かにとっては

 

ごみでしかない可能性が大きい訳である。

 

そう考えれば、僕がはじめに言った

 

「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い」

 

という言葉が、より切ないものに感じてしまう。

 

自分という存在がより多角的に見られる時代になったからこそ、

 

より自分の人生が軽いもののように感じられ、

 

その存在を強調するためにまた誰にも見られない投稿や

 

呟きをネットの海に落としてしまう。

 

その行為が、自傷行為になっている可能性があるにも関わらず……。

 

4・精神をすり減らす前に

 

別に意見を投げかけるのが悪い、というつもりはない。

 

ただ、僕としてはそこまで躍起になってネットの海に

 

情報を投げかけることが、自分の人生や命を削ってまで

 

やるべき行為なのかということである。

 

最近ではSNSの投稿やネット記事に過剰反応することで精神をすり減らし、

 

精神を病んでしまう人も数多くみている。

 

自己主張は大事だと思うが、その行為がより

 

自分の存在を否定したり薄くしていることがあることは

 

意識すべきなのではないかと思ったりする。

 

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【1000字コラム】善意と悪意の狭間に人間は立っている

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1・人の善意とは

 

私はライターなんて仕事をしているが、

 

映画やドラマなどで見かける危険な綱渡りなんてないし、

 

誰かのプライベートを切り売りしているような記事を

 

書くような仕事はしていない。

 

まだそのレベルではないだけかもしれないが、

 

ネットというのは人の感情を増減する装置であるとは

 

良く言われている話である。

 

昨今の例で言えば、地震の予言に関する記事などが

 

顕著などではないだろうか。

 

ああした記事を流すことで人の恐怖心を扇動し、

 

その記事をクリックして中身をチェックするように

 

促すような効果がある。

 

しかし、この記事が本当に何らかの根拠を持ち、

 

日本に住む人たちに対して警鐘を鳴らしていたのであれば、

 

それはまったく悪意だけで書かれているとは言えないのではないだろうか。

 

2・善意の根っこには欲望あり

 

僕は善意からはじまる行為というのは、

 

基本的にはそれを否定するつもりはない。

 

ボランティアなども無償などというが、

 

僕としては自分が「人の役に立ちたい」や

 

「誰か感謝されたい」、「社会に参加したい」という

 

思いの元になりたっていると思う。

 

だから、私利私欲がまったく入っていない善意などは存在せず、

 

人間なのだから何らかの思慮や思惑があって善意を働くことは

 

まったく間違いではないと僕は思ったりする。

 

でも、それが今では完全なる「全知全能」を求めるような

 

風潮を僕は感じることがあって、まるでハリボテに描かれた

 

神様だけを見ていたいと思っているように感じる。

 

神様だって、自分が生活するために

 

布教活動をしていたと思うほうが、僕は人間臭くて

 

好きだったするのである。

 

3・アンドロイドは夢をみない

 

昔では隣のおばちゃんがお節介を焼いてくるなど、

 

自分の住む地域の界隈の人間が関わりを持つことは

 

当たり前であった。

 

それがいいとか悪いとかいうつもりはないが、

 

今では人の個が進み、どんどん必要のない人を

 

仕事の「効率化」のように削除している。

 

そうした効率化の先に、僕たちはそのうち

 

善意と悪意という判断をすることもできることができず、

 

ただ生きるためだけに物事を「こなす」だけに

 

なっていくのではないかと思ったりする。

 

昔のSF映画ではないけれどアンドロイドのような

 

人間ばかりになってしまうのではないかという

 

危惧はあったりする。

 

4・チキンパーティー

 

最近、僕は「チキンパーティー」という

 

金田一連十郎さんの作品を読んだ。

 

善意で厚かましくて、人にお節介ばかり焼く

 

「トリ」と、孤独な中学生が主人公である。

 

主人公がはじめはトリを鬱陶しく感じるのだが、

 

その善意に徐々に心が解けていく姿が描かれている。

 

その「トリ」の善意が、中学生にとっては悪意でしかない。

 

でもそれによって救われる瞬間やつながりというのは、

 

まったく無駄ではないし、効率化によって削除して

 

いいものではないと思ったりするわけである。

 

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【1000字コラム】がめつく生きたっていいじゃない~残業や会社勤めで辛い人に贈る言葉~

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https://twitter.com/kadikadisake/status/794515726920912896

 

 1・過労死が増える現実

 

最近は過労死や労災がまったく機能していないことで、

 

数々の労働者が苦しめられている事案を多く見かける時代になった。

 

ある大手企業でも100時間の残業が問題になり、厚労省でも

 

電話による相談に乗ったらしいが、その中には月給1万で

 

働かされたり、休みが1か月の中で1日もないのはザラあったようだ。

 

2・「仕事」という呪縛

headlines.yahoo.co.jp

 

こちらの記事にもあるが、僕としても

 

働き過ぎた人というのは、ある種の催眠や

 

「会社」という思想に染まっているのだと思う。

 

「自分が居なければ」や「働かなければ」という

 

呪縛のような念に取り付かれ、身動きができないという。

 

私も前職の経験で似たような思いを抱いたことがあったが、

 

「私が倒れたときの損失」という言葉が頭をよぎった。

 

自分が倒れて仕事に長期出られなくなったとき、

 

会社はどれだけ損失を被るのだろうか、と。

 

長い目で見れる人ほど適度に休暇を取るし、

 

自分の存在を仕事に求めはしないのだろうと僕は思っている。

 

3・生きることと死ぬことをコスト面から考える

 

 

今の人たちがどうして働き過ぎるのか。

 

それは色々あるだろう。

 

奨学金の返済や家族を養うため、

 

家賃や公共費用を支払うためなど、

 

さまざまな理由が頭の中に浮かんでくる。

 

もちろん、どのお金もきちんと支払うべきものである。

 

しかし、どのお金も人の「命」を賄ってまで

 

支払う必要のあるお金なのだろうか。

 

いやらしい話、人が生き続けるコストと死ぬことを考えたとき、

 

働ける人がこの世からいなくなってしまうことのほうが

 

コストとしては損になってしまう。

 

では、働かない人はどうかと言えば、働かない人にも

 

お金をペイし続けることで通貨(税金など)は流動するので、

 

そういった意味ではいてくれるほうがいいのではないかと

 

思ったりするわけである。

 

アリの群衆には必ず働かないアリがいるというが、

 

実は働けないアリが出てきたときのピンチヒッターという

 

説もあるようなので、そう考えれば今働けない人も

 

そのうち活躍するという「機会」を考えれば、

 

税金などで付与することはまったく無価値ではないわけである。

 

(働ける人を確保するために、ハローワークなどにお金が使われているはずだし)

 

反対に人がいなくなると、その人を火葬するだけのコストが掛かるだけでなく、

 

新しいものを生み出す「機会」という大きな損失をしている。

 

人がいなくなるというのは、

 

思っている以上に心的な損失も被るものである。

 

4・がめつく生きたっていいじゃない

 

 

現代では「コストに見合った仕事にしろ」とか

 

「お前がいないと仕事が回らない」と言って、

 

あなたの金銭的状況を逆手にとって

 

数多の仕事を押し付けてくるかもしれない。

 

でもそんなのは、きちんと仕事を割り振れない

 

上司のミスなのである。

 

「休むことも仕事」であるように、

 

私たちは生き物である以上、きちんと自分が

 

休息を取らないと別の誰かに「休息」など

 

提供できるわけないのである。

 

私は「休みなく働け」という人には

 

「休みなく働いても生産性が落ちるだけ」と

 

必ず言ってやりたい。

 

あなたのその一言が、会社なんて小さい単位ではなく

 

社会という範囲で大きな損失を生むことを、

 

私ならばくどくどと説教してやりたくなる。

 

仕事をおしつけてくる人のために死んでやることなんてない、

 

がめつくてもいい、嫌われてもいいから「私は休みたい」や

 

「私が死んだ分の損失をあなたは埋められますか」と

 

言う勇気を持ってほしいと僕は思ってしまう。

 

 

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【1000文字コラム】 ネットの記事に思うこと

1・ある番組での出来事

 

あるネットニュースで、お昼のバラエティー番組の一幕がやり玉に上げられていた。

 

news.nicovideo.jp

 

ある老人にタレントが道を尋ね、その老人が「丁字路」と発言をしたようだ。

 

あまり知られていない事実かもしれないが、昔は「丁字路」という表記もあり、

 

それが今ではアルファベットの「T」という表記に代わっていったようだ。

 

しかし、タレントはこの事実を知らなかったようで、テレビ的には

 

老人を間違った表現をしている人間という風に映し出し、嘲笑の対象のように

 

編集をしてしまったようだ。

 

このような姿は「やりおったーー!!」とネット民には格好の餌食で、

 

よくあるいたちごっこのように見える。

 

でも、記事についていたコメントを見ていると、意外と

 

ただ「知らなかったのかバカ」みたいなコメントばかりではなかった。

 

2・実際に問題の映像を見てみる

 

コメントを見ていると、どちらかというと

 

老人を擁護するようなコメントが多く、

 

日本語の危惧やテレビ局を批判するようなコメントが多かった。

 

言ってしまえば道徳心のようなものに根付いた発想のように感じる。

 

実際に動画を見てみたが、あまり老人を嘲笑したような編集ではなく、

 

ただ「変わった表現かも」という形で使っていただけのように見える。

 

3・ぶっちゃけ、どっちでもいいでしょ?

 

ぼくは思う訳である。

 

こうした記事が出てくるたび、

 

それがあっていようがいまいが、

 

道徳的にどうであろうと何だろうと、

 

あなたにはどうでもいいだろうと。

 

だから、書いている人も特に何も考えるずに投稿していることもあれば、

 

本当に何か問題意識を持って書いているかもしれない。

 

そんなものは、やはりコメントからでは計れないものがある。

 

しかし、誰もがそのどうでもいいような記事に躍起になり、

 

目の前の現実よりも自分の意見の正しさを主張することに執心している。

 

記事にコメントやSNSに呟くことに

 

必死になった大人たちが増え、

 

群れたのは若者ではなくて、むしろ利益や

 

自分たちの立場を守りたい大人たちかもしれない。

 

4・感情の増幅と議論は違う

 

ネットを拒絶する世代と受け入れる世代には、

 

僕は結局は保身的なのか積極的なのかという差を

 

感じている。

 

ネットにてなんでも発信することが

 

いいと断言はできないが、

 

少なくとも保身的な人と会話していても

 

物事が解決するとは思えない。

 

では、今回のような記事にコメントを

 

することがプラスになるのか。

 

僕としては感じない。

 

それはただの感想であり、感情の増幅や方向性を

 

コントロールさえされている。

 

僕はそのように感じてしまう。

 

とどのつまり、自分の正しさを証明する

 

足跡でしかない、というところである。

 

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